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南相馬市長 桜井勝延氏講義

に参加して


鷹取敦

掲載月日:2014年4月12日
 独立系メディア E−wave
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 青山貞一環境総合研究所顧問が共同代表をつとめる政策学校一新塾(正式には特定非営利活動法人 一新塾、東京都港区芝)で開催された福島県南相馬市長の桜井勝延さんの講義に参加させていただいた。


撮影:青山貞一

 東日本大震災とそれに伴い発生した東京電力福島第一原発事故発生後まだ1年経過しない時期である2012年1月19日にも桜井市長は一新塾で講義された、その時も参加させていただいた。事故直後に放射能汚染のため他地域から孤立した状況に市長として取り組まれてきた貴重な話をうかがったが、今回はその時の講義を上回る内容でさらに示唆に富み、将来ビジョンを併せ持つ力強いものだった。

 桜井市長は、事故後しばらくの間、外部からガソリン等の物資、マスメディアも来なくなった中、Youtubeを活用して世界中に窮状を訴え、地域への救援を求めたことで知られ、米国タイム誌から、2011年版の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたことが有名である。しかし桜井さんは単にYoutubeを活用しただけの市長ではないことが、今回の講義からもよくわかった。

 今回の講義で話された多くのことうち、私が大きな感銘を受けたことを紹介したい。

 事故直後、国から屋内退避指示の連絡が届かないまま、桜井市長は自主的な判断で、新潟県の泉田知事からの避難者受け入れの申し出を受けて、他地域からバスを借り集めて市民を全世帯避難させた。国からの連絡がなかったことから、災害対策基本法に基づく避難ではなく、市みずからの自発的な判断としての避難だったそうである。


撮影:青山貞一

 一時的であれ避難は市民にとって大変な困難、その後の復興への影響を与えるものであり、他の原発近辺の自治体は一度避難した市民がもどることは難しく、地域の復興を困難なものとしているが、南相馬市の現状は他の自治体とは少し異なる。

 桜井市長は、市民を全面避難させる一方で、市内に残る1万人あまりの人(病気、障害、高齢者等で動けない市民)がいる限り市役所は避難しないと決断し、市役所職員の厳しい視線の中、訓示したそうである。当時は市役所職員から恨まれたであろう決断だが、その後、市役所が市内に残っていることから、さまざまな区域に分断されるという困難が依然としてあるものの、多くの住民が戻り地域で生活を再開することができているいう。

 もちろんその背景には南相馬市の海側の地域の空間線量率は高くなく、ガラスバッジで個人線量を把握すると現在ではほとんど1mSv/年を下回るという状況もあるが、市役所が避難した他の自治体と比べて、地域にもどった住民の割合ははるかに多い。これはひとえに市長の的確な判断によるものだと言える。

 一方、放射線の直接的な影響ではなく、間接的な被害が甚大なこと、それが続いていることについても述べられた。南相馬市の震災による死亡者は平成26年3月3日現在で1083人だが、そのうち447人がいわゆる「災害関連死」(病気、自殺等を含む)で、災害関連死はまだ増え続けているという。津波等で直接亡くなった人と同じくらい人数が、その後の困難により亡くなっていることになる。

 講義後に桜井市長にうかがったところ、災害関連死として把握されている人数は、実際の関連死の一部にすぎないのではないかということである。放射線の潜在的なリスクもあるが、間接的な影響がいかにおおきいか、災害関連死の増加をみるだけでもわかる。

 被災者の困難はそれだけではない。米を作って風評被害で売れないよりも、3年間は賠償が出ているので作付けを躊躇する農家が少なくないという。しかし賠償金はいつまでも続かないし、仮に続いたとしても賠償金をもらって生活するだけでは、将来の人生の展望は開けない。人間の尊厳は回復できない。

 南相馬市は、近隣他市町村と比較して人が戻っているといっても人口も減少している。特に65歳より下の生産年齢人口が大きく減少しているため、さまざまな分野で人手不足で、消費も低下していることが、地域の将来の大きな壁となっているという。特に人手不足なのが、医療、介護などをはじめとする専門職だそうである。そのため、事故後の有効求人倍率は大きく上昇している。

 桜井市長が強調されていたのは、当事者の自己決定が尊重されるようにすることであった。自らの人生の決定を自らできること、その環境が整えられることが重要である。たとえば農業を再開したい農家には再開できるように、農地を再生エネルギーのために活用したい農家はそうできるようにすることが重要と指摘されていたが、国は従来の法制度を杓子定規に適用し、農地をメガソーラーに利用することは許可しないそうである。

 除染の問題についても言及された。南相馬市内は0.23mSv/年を下回る地域が多い(国の計算で年間1mSvを下回る水準)。実際の個人線量はさらに低い。それにも関わらず除染に年間600億円も投入するのは無駄ではないかと指摘された。除染に巨額を投入して東京のゼネコンに持って行かれるよりも、地域の復興にとって有効なことに、より税金を含めた多くのリソースを配分すべきだろう。

 このような市が直面するさまざまな困難に、市長として矢面に立ちながら対処される一方で、南相馬市が注目されてる間に若い人を呼び込むために行われている、さまざまな試みを紹介された。被災地の首長とは思えないほど(といったら失礼だが)、顔を上げ、地域の将来を見据え、地域の伝統を守ることの大切さを説き、さらに広い視点を持ち、日本国内だけなく世界からも人があつまる地域の再生についての構想を披露された。

 選挙の際に選挙カーに乗らず、10日間の選挙期間中(各地に被災者が散っているため、通常の選挙期間より長い)に360kmを自らの足で走破され、だれよりも多くの市民と会ってきたという、そのバイタリティと情熱と使命感をもって南相馬市を前進させようとしていることを感じた講義会だった。

 最後に貴重な機会を与えていただいた森嶋伸夫そして青山貞一共同代表にこの場を借りてお礼の言葉を申し上げたい。


桜井市長を紹介する青山貞一(左)
撮影:鷹取敦