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シンガポール短訪

ジョホール・バル(マレーシア)

鷹取敦

掲載月日:2018年7月20日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


内容目次
  1 歴史的背景
5/3 2 セントーサ島 | 3 ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ
5/4 4 ジョホール・バル(マレーシア) | 5 オーチャード・ロード、ベイエリア
5/5 6 チャイナタウン・リトルインディア・アラブストリート

■ジョホール・バル

 2日目はマレー半島最南端のマレーシア・ジョホール州の州都であるジョホール・バルに向かいました。

 シンガポールとジョホール・バルを隔てるジョホール海峡には約1kmのコーズウェイ橋がかかっており、自動車で国境を越えることができます。コーズウェイには水のパイプラインが通っており、シンガポールはマレーシアから原水を買っています。そしてシンガポール側の浄水場で処理された上水の一部はパイプラインを通ってマレーシアに戻されているようです。

 シンガポールからジョホール・バルに行く時には、シンガポール側で出国審査を受け、橋を渡った後、マレーシア側で入国審査を受けます。ジョホール・バルからシンガポールに行く時にも同様で、マレーシア側で出国、シンガポール側で入国審査があります。

 シンガポールで働くマレーシア人は、毎朝、毎晩、出国審査→橋、入国審査を行って往復しているそうです。何万人もの人(30万人?)が国境をまたいで通勤しており、通勤ラッシュ時には渋滞が激しいようです。この日は海峡に近づく8時30分を過ぎたあたりから渋滞がはじまり、出国・入国審査を経て、ジョホール・バル側に入るまで約1時間かかりましたが、もっと時間がかかる日もあるようです。

 下の写真はシンガポールで仕事を終えてマレーシアに戻る労働者の通勤バイクです。橋の手前にある出国審査が行われる施設に向かって渋滞しています。


国境を越えて通勤するバイク 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真は橋とその向こう側に見えるパイプラインです。写真の左側がマレーシア・ジョホール・バル側です。


自動車の向こうに見えるパイプライン 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 なお、ジョホール・バル行きだけは現地ツアーを利用したのですが、シンガポール側でバスに同乗したガイドさんは、マレーシアではガイドの仕事はしてはいけない(許可を持っていない)ので、マレーシア側でマレーシア人のガイドさんがバスに乗ってきました。

 橋(コーズウェイ)から少し西の、ジョホール海峡に面した小高い丘の上に、アブ・バカール・モスクがあります。工事中だったこともあり遠くから外観を見ただけですが、下の写真のようにヨーロッパ風の建物で作られており、モスクのイメージからはかけ離れています。さまざまな様式が組み合わせて用いられていますが基本はビクトリア様式です。

 スルタン(イスラム教国の君主)・アブ・バカールの命により、1892年〜1900年にかけてもアブ・バカール・モスクは作られました。1866年にジョホール王国のスルタンに即位したアブ・バカールは、マレー半島がイギリスの植民地とされている時代に独立を維持して経済開発を進めたため「近代ジョホールの父」と呼ばれています(参考)。


アブ・バカール・モスク 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下記はジョホール・バルの別の場所にあるモスクです。後でバスの車窓からみたモスクです。ドームと尖塔があるモスクらしいつくりです。これと比較すると上の写真のアブ・バカール・モスクがいかにモスクらしくないか分かります。


モスク 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 青い瓦は日本の三州瓦(愛知県)が使われているそうです。下の写真のように青い瓦の部分だけみると日本の家屋のように見えます。(瓦も葺き替え工事中でした)


アブ・バカール・モスクの青い瓦 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 なお、マレーシアは連邦国家で、州ごとにスルタン(イスラム教国の君主=王様)がいます。ジョホール州はジョホール王国がイギリスの植民地時代を経て現代までつらなる王国であり、世襲のスルタンが統治しています。各州のスルタンはマレーシアの国王となる資格と国王選挙権を持っています。マレーシア国王は5年任期で各州のスルタンの互選の形を取っていますが事実上は輪番制に近い象徴的な君主です。シンガポールがイギリスの植民地となる前のジャングルの漁村の島の時代には、このジョホール王国の領土でした。

 下の写真はジョホール州スルタンの(旧)王宮のイスタナ・ベサールです。現在のスルタンはここに居住はしていません。写真は赤っぽい色の瓦ですが、「イスタナ・ベサール」で検索すると同じ建物で青い瓦の写真ばかり出てきます(たとえばこのサイト)。これはアブ・バカール・モスクと同じ青い三州瓦です。アブ・バカール・モスクも王宮もそれまで使っていた瓦より耐久性が高い三州瓦で修復したようですが、現在の王宮は元の姿に戻したのかもしれません。(グーグルマップの表示では現在閉鎖されている状態のようです。)


イスタナ・ベサール(王宮) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 マレーシアも人口比は違いますが、マレー系、華人系、インド系の多民族国家です。そのため下の写真のように仏教寺院(華人系)があります。近くにはヒンズー教寺院(インド系)もあります。


仏教寺院 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


ヒンズー教寺院 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 バスはマレーシア文化村なる施設に向かいました。下の写真が入口です。ここにはマレーシアの民家に展示された衣装や食器、楽器、民芸品、漁の道具など、庭の植物、バティックの染色体験、ミルクティーとロティ(カレーをつけて食べる「ナン」のようなもの)作りの実演と代表者の体験、マレー系・華人系・インド系それぞれの民族の結婚衣装の展示、錫製品の製作実演、民族舞踊の観賞など(と土産物屋)がありました。


マレーシア文化村 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 民家には居室と寝室、台所があり、生活に使われていたものなどが下の写真のように並べられています。右上の楽器は、筆者が子供の頃に父がインドネシアのお土産として買ってきたものと同じ竹でできた楽器です。マレーシアもインドネシアも同じマレー系の民族なので同じ文化を共有しているのでしょうか。


マレーシア文化村の民家の展示 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 バティックの染色体験では、既に描かれている花の輪郭線に色を乗せていきます。複数の色を使ってグラデーションを作れるのですが、絵の具の水分が蒸発して濃くなっていたようですぐに乾いてしまいます。下の写真では左手に絵の具の筆、右手で水の筆を持ってすばやく色を乗せています。


バティックの染色体験 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真は施設に貼ってあったマレーシア全体の地図のジョホール州の部分です。ジョホール州とすぐ南(下)にあるシンガポール(以前はジョホール王国の領土だった)の関係が分かります。


マレーシアの地図 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ピザのように回しながら投げて記事を薄く拡げます。素人の参加者がやると均一に薄くならず破れてしまいましたが、そのあと畳んでカレーをつけて食べるので、問題ありませんでした。


ロティの調理実演 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 3民族の結婚衣装が展示されています。下の写真はマレー民族のものです。


マレー民族の結婚衣装 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真は溶けた錫を鋳型に流し込んでいるところです。となりの中華鍋のような容器の中で錫が溶かされています。


錫製品の鋳造実演 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真は民族舞踊の冒頭の様子です。日本の音楽がBGMになっている曲もありめんくらいました。途中からかなり陽気な曲に合わせたダンスで、いわゆる民族舞踊っぽい印象ではなかったように現地では感じました。


民族舞踊 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 この後、ジョホール・バル市内のホテルのビュッフェで、マレー料理、中華料理、インド料理等をいただき、バスでシンガポールに戻りました。15時頃に解散です。

 シンガポールを朝に主発してバスでジョホール・バルを巡り、夕方前には戻るという慌ただしいスケジュールでした。もう少し時間をかけて歴史的な背景のある場所をまわった方がよかったかもしれません(参考1、参考2)。

 ジョホール・バルを含むジョホール州には、シンガポールとマレーシアの共同開発であるイスカンダル計画という壮大な開発計画があります。これはシンガポールと海峡を隔てて向かい合っているジョホール州にシンガポールのような都市を造ってしまおうという計画とも言われていますが、先行きは厳しいと見られているようです。

つづく