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帝国議会の質問制度
−成立と変容−

Question System to the Cabinet in the Imperial Diet:
The Process of Institutionalization


参照・引用文献

田中 信一郎 TANAKA, Shinichiro

明治大学大学院政治経済学研究科
政治学専攻博士後期課程
元参議院議員政策秘書

初出:『政治学研究論集』第23号
(明治大学大学院政治経済学研究科、2006年)


Web掲載年月日:2006年5月27


 お断り

 第一章から第三章の引用、参照文献番号が特殊文字のため、テキスト化されておりません。できるだけ早期に対応します。



1)監督、吉村公三郎。出演、三国連太郎、志村喬、中村敦夫、他。1974年。

2)利根川河畔の川俣(現在の群馬県明和町)において1900年2月13日に発生。参加農民の数には諸説ある。由井正臣『田中正造』(岩波書店、1984年)160-161頁参照。

3)国会法第76条は緊急時の口頭質問を認めているが、天変地異など議院運営委員会が認めた場合に限られており、機会はほとんどない。大石眞『議会法』(有斐閣、2001年)115-116頁。

4)『政治学論集〈第50号〉』(駒澤大学法学部、1999年10月)所収。但し、第4回駒澤大学政治学研究会(1999年3月20日)における報告要旨をまとめたもの。

5)大石眞『議院法制定史の研究』(成文堂、1990年)。同『日本立法資料全集3議院法』(信山社、1991年)。

6)大蔵省印刷局、1961年。

7)「初稿」伊藤博文『秘書類纂憲法資料中巻』(原書房、1970年)46-47頁。なお、同書では「憲法義解未完初稿」とあるが、「憲法義解未完」の文字は後年書き込まれたものと言われる。稲田正次『明治憲法成立史下巻』(有斐閣、1962年)44頁参照。

8)原文はドイツ語。前掲『明治憲法成立史下巻』104-116頁に、伊藤博文秘書類纂「憲法八」に収められた邦訳全文が所収されている。それによると「質問」には「インテルヘラチオン」とルビがある。「インテルヘラチオン」とはinterpellation、すなわち「政府の政治責任を問う問責質問」(前掲『議会法』115頁)を指すと考えられる。

9)稲田はこの規定について、バイエルン議院法やプロイセン代議院議事規則などを参考にしたようだと述べている。前掲『明治憲法成立史下巻』121頁参照。

10)「甲案試草」伊藤博文『秘書類纂憲法資料上巻』(原書房、1970年)467頁。「乙案試草」同607頁。

11)「夏島草案」の全文は前掲『明治憲法成立史下巻』198-205頁。伊藤は、井上甲案の質問権条項などに、自ら「此條不用」と書き入れている。同136-137頁参照。

12)「逐条意見」井上毅伝記編纂委員会編『井上毅伝資料篇第一』(国学院大学図書館、1966年)587頁。「日本憲法修正案ニ関スル意見」伊藤博文『秘書類纂憲法資料下巻』(原書房、1970年)86-88頁。なお、「日本憲法修正案ニ関スル意見」には「巳代治」と署名されているが、伊東が訳者もしくは所有者であることを示したものとされている。前掲『明治憲法成立史下巻』247-248頁参照。

13)前掲『明治憲法成立史下巻』275頁。

14)『枢密院会議議事録第一巻』(東京大学出版会、1984年)290頁。

15)同上290-292頁。

16)前掲『明治憲法成立史下巻』574頁。

17)『枢密院会議議事録第三巻』(東京大学出版会、1984年)42頁。

18)前掲『議院法制定史の研究』292頁。

19)前掲『枢密院会議議事録第三巻』42-44頁。

20)伊藤は帝国議会の行政監視権限として、請願受理権、上奏建議権、財政監督権とともに、「議員政府に質問し弁明を求むるの権」を挙げていた。伊藤博文(宮沢俊義校註)『憲法義解』(岩波書店、1940年)65頁参照。また、当時の有力学説も、議会に質問権があるという立場を採っていた。前掲『議院法制定史の研究』310-313頁参照。だが、憲法に明文化された権利とそうでない権利とでは明らかに異なり、非文化が質問権の根拠を弱めているのは明白である。

21)「議院法第一次案」前掲『日本立法資料全集3議院法』161頁。

22)「議院法試草」同上161頁。

23)正確な作成時期をめぐっては議論があるが、ここでは憲法「十月草案」と同時期とする大石の説を採っている。前掲『議院法制定史の研究』100-101頁参照。

24)「議院法最初原本」前掲『日本立法資料全集3議院法』178-179頁。

25)「委員会議原案」同上178-179頁。

26)「クルメッキの国会意見」同上189-198頁。クルメッキ意見書の影響は、議長勅任制と議院規則の施行勅裁制とに顕著であった。前掲『議院法制定史の研究』118-120頁参照。

27)「委員決議案〈第二次修正案〉」前掲『日本立法資料全集3議院法』224-225頁。

28)「委員決議案に対する伊藤議長覚書」同上239頁。

29)「議院法説明〈義解〉」同上276-277頁。

30)「再審会議決定案」同上251-252頁。修正の経過については前掲『議院法制定史の研究』265-266頁参照。

31)前掲『議院法制定史の研究』298-299頁。

32)「公布議院法」前掲『日本立法資料全集3議院法』304頁。

33)赤坂幸一「明治議院規則の制定過程」(『議会政治研究』2001年12月号)52頁参照。なお、赤坂はこの時期の林田について枢密院書記官としているが、林田は1888年11月に法制局参事官試補に任命され、翌年6月に同局参事官に昇任している。秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』(東京大学出版会、2002年)417頁参照。

34)議院規則発効方法の問題については、大石眞『議院自立権の構造』(成文堂、1988年)247-253頁を参照のこと。

35)「臨時帝国議会事務局報告書」前掲『日本立法資料全集3議院法』440-441頁。「議院規則諸案」同441-474頁。

36)前日の9月30日に衆議院書記官長から各議員及び全国の各新聞社に配布された。「朝野新聞」1890年10月1日(東京大学法学部近代日本法政史料センター編『朝野新聞縮刷版32』ぺりかん社、1984年)参照。

37)「郵便報知新聞」1890年10月29日(郵便報知新聞刊行会『復刻版・郵便報知新聞第70巻』柏書房、1992年、236頁)。

38)「郵便報知新聞」1890年11月19日(同上324頁)。

39)開院式当日の衆議院会派は、弥生倶楽部131名、大成会85名、議員集会所43名、無所属41名、計300名であった。衆議院・参議院『議会制度百年史・帝国議会史上巻』(大蔵省印刷局、1990年)1頁参照。

40)「郵便報知新聞」1890年11月20日(前掲『復刻版・郵便報知新聞第70巻』328頁)。

41)「郵便報知新聞」1890年11月22日(同上337頁)。

42)「郵便報知新聞」1890年12月2日(同上388頁)。

43)「衆議院規則」前掲『日本立法資料全集3議院法』527頁。

44)第37回議会中1916年2月6日、小久保喜七衆議院議員は、自らの提出した質問に対する大隈重信内閣総理大臣の答弁が要領を得なかったとして、本規則に基づき「更ニ精細ノ質問」を求め、大隈は同月16日に議場で後日に書面で答弁すると発言し、同月23日に書面で答弁した。「衆議院先例集纂」(1920年6月)542頁。

45)前掲「議会の質問と情報公開」123頁。

46)「衆議院第十次改正規則」前掲『日本立法資料全集3議院法』527頁。

47)先例については、浅野一郎『国会事典第3版補訂版』(有斐閣、1998年)184-185頁参照。

48)「衆議院先例集纂」(1891年6月)4-5頁。国立国会図書館の保有する最も古い衆議院先例集であり、第1回帝国議会閉会直後の編集であることから、最初の衆議院先例集と考えられる。

49)本整理は、議院法、衆議院規則、「衆議院先例集纂」1891年6月版、1892年から1894年までに5回刊行された「同追加」、同1895年11月版、同1896年11月版、同1897年版12月版、同1898年版5月版、同1898年11月版、同1899年11月版、「衆議院先例集纂草案」1901年11月版、同1902年11月版、同1903年4月版、同1904年11月版、「衆議院先例集纂上巻本会議ノ部」1908年12月版を基にしている。

50)第1回議会では議長が質問提出のなされたことを報告するのみであったが、第2回議会において植木枝盛議員が主意書の印刷配布を求めたところ、中島信行議長はとりあえず主意書を朗読して速記録に掲載することとした。後日、植木が朗読しなくとも主意書全文を速記録に掲載することを提案し、中島は植木提案を採用した。「衆議院先例集纂」(1896年11月)9-10頁参照。

51)説明演説について、提出議員が複数の場合に、2名の議員がそれぞれ演説した例がある。また、質問が簡易な場合や会期が切迫している場合などに、演説を省略した例がある。その場合、弁明書若しくは参考書を速記録に掲載する例もあった。前掲「衆議院先例集纂上巻本会議ノ部」(1908年12月版)547-548頁参照。

52)第3回議会では、国務大臣による書面答弁の他に、政府委員が口頭で詳細を説明した例があった。前掲「衆議院先例集纂」(1895年11月版)8-9頁参照。また、第23回議会では、質問事項に関係する他議案の議事中に国務大臣が口頭で答弁する例があった。前掲「衆議院先例集纂上巻本会議ノ部」(1908年12月版)554-555頁参照。

53)第4回議会では、国務大臣の代理でない政府委員の口頭答弁が取り消された例があった。前掲「衆議院先例集纂」(1895年11月版)9-11頁参照。

54)第23回議会では、国務大臣の口頭答弁中に、議員が質問趣旨を補足し、国務大臣もこれに答弁する例があった。前掲「衆議院先例集纂上巻本会議ノ部」(1908年12月版)558頁参照。

55)「衆議院先例集纂」(1930年4月版)523頁。

56)本整理は議院法、衆議院規則、「衆議院先例集纂」1912年12月版、同1915年4月版、同1920年6月版、同1924年6月版、同1930年4月版、同1932年4月版、同1936年3月版、同1937年7月版、同1942年12月版、「衆議院先例要覧」1933年12月版を基にしている。

57)院議によって質問の趣旨弁明を一次延期、あるいは許可しなかった例があった。「衆議院先例集纂」(1915年4月版)533-534頁、537-538頁。

58)この先例は、具体的な事例の示されないまま、「衆議院先例集纂」(1936年3月版)以後の先例集に突如として出現している。同557頁参照。

59)「衆議院先例集纂」(1936年3月版)554頁。

60)衆議院・参議院『議会制度百年史・議会制度編』(1990年、大蔵省印刷局)321頁。

61)第1回議会中1891年2月13日、貴族院における初めての政府答弁の直後、質問提出者の谷干城議員が質問提出の理由を議場で演説した例がある。「貴族院第一回通常会議事速記録第二十八号」『帝国議会貴族院議事速記録2』(東京大学出版会、1979年)455-456頁。

62)「貴族院第十次改正規則」前掲書『日本立法資料全集3議院法』494頁。

63)前掲『議会制度百年史・議会制度編』321頁。

64)「貴族院先例録」(自第一回議会至第五十回議会)、同(自第一回議会至第六十五回議会)、同(自第一回議会至第七十四回議会)の3冊である。

65)貴族院では第31回議会中1914年2月26日、衆議院では第35回議会中同年12月12日が、それぞれ最初の緊急質問である。前掲『議会制度七十年史・帝国議会議案件名録』1007頁、同1015頁参照。

66)貴族院による議会制度改革の動きはほとんど見られなかった。村瀬信一『帝国議会改革論』(吉川弘文館、1997年)14-15頁参照。

67)1890年12月12日衆議院提出、審議未了。

68)1894年12月24日衆議院提出、翌年3月14日衆議院修正可決・貴族院送付、審議未了。

69)1897年1月27日衆議院提出、同年3月13日衆議院修正可決・貴族院送付、審議未了。

70)衆議院事務局『議院法改正経過概要』(1936年8月)27頁。

71)前掲『議院法改正経過概要』115頁。

72)1902年1月25日衆議院提出、同年2月22日衆議院修正可決・貴族院送付、同年3月6日貴族院否決。法案内容及び審議経過詳細は、前掲『議院法改正経過概要』355-388頁参照。

73)1933年2月17日衆議院提出、同月18日衆議院可決・貴族院送付、審議未了。

74)政党が、政権に参画するとともに議会制度改革の熱意を失い、五・一五事件で政権から離れて再び議会制度強化に目を向けたからだとする研究がある。前掲『帝国議会改革論』参照。

75)同上 125頁。

76)「議会振粛要綱」前掲『議会制度百年史・議会制度編』241頁。「議院法中改正法律案(久原房之助君外五十五名提出)」前掲『議院法改正経過要綱』1230頁。

77)第65回議会の今井健彦議員提出案、第67回議会の前田米蔵議員提出案がそれに当たる。

78)図表1、図表2、本章のデータの出典は次のとおり。衆議院事務局『衆議院議案件名録(自第一回議会至第六十回議会)』(1932年)、第61回議会から第92回議会までの衆議院事務局『衆議院報告』、貴族院事務局『貴族院事務局諸課報告(第一回帝国議会)』(1891年)、第2回議会から第83回議会までの貴族院事務局『貴族院事務局報告』、第84回議会から第92回議会までの『帝国議会貴族院議事速記録70』(東京大学出版会、1984年)、『同71』(1984年)、『同72』(1985年)、『同73』(1985年)、『同74』(1985年)、前掲『議会制度七十年史・帝国議会議案件名録』。なお、『衆議院議案件名録』では、第42議会中の緊急質問1件の記載漏れがある。この質問は『議会制度七十年史・帝国議会議案件名録』に記載があり、『帝国議会衆議院議事速記録36』(東京大学出版会、1982年)308-389頁で『議会制度七十年史・帝国議会議案件名録』が正しいことを確認した。また、図表1に質問件数と答弁件数の合致しないものがあるのは、政府の答弁拒否の例、議員の質問撤回の例、口頭答弁と書面答弁の両方なされた例、解散で政府に転送できなかった例、日程の都合で上程できなかった例が含まれるため。

79)武藤金吉「輸出生糸及羽二重ニ関スル件」(1914年12月12日)。

80)衆議院・参議院『議会制度七十年史・貴族院参議院議員名鑑』(大蔵省印刷局、1960年)、『同・衆議院議員名鑑』より。貴族院で重複掲載された議員は一人として扱っている。貴族院と衆議院両方に在籍した議員はそれぞれの院でカウントしている。

81)ここでは、注78の史料で、発議者として名前が掲載されている議員を発議者としている。「外○名」などと、史料で名前の省略されている発議者はカウントに含めていない。貴族院で質問件数に比べて発議者数が多いのは、第1回の『貴族院事務局諸課報告(第一回帝国議会)』及び第2回から第16回までの『貴族院事務局』が、複数発議者の場合でも発議者名を省略していないため。『衆議院議案件名録』では、第1回議会の3件を除き、代表発議者以外を省略している。

82)前掲『田中正造』167頁。

83)例えば、同上のカバーにつけられた帯には、この言葉が記されている。