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知事としての最後の挨拶

田中康夫

掲載日2006年8月31日



秘書チームリーダー 成沢弘治

 ありがとうございました。では最後に、田中康夫知事からごあいさつがあります。よろしくお願いします。(拍手)

信州・長野県知事 田中康夫

 本日まで信州・長野県知事を務めさせていただきます田中康夫であります。(拍手)私たちが学び、働き、暮らすこの社会は、一部のあらかじめ守られた既得権益者のために存在するのではありません。

 私は、政治こそは生活そのものであり、その生活をともにする人々を結び付けるのは言葉であり、すなわち私は政治こそは言葉そのものであると。その思いを抱き、この6年間を過ごしてまいりました。(拍手)

 このことを理解いただき、ご支持いただき、そしてともに行動をしてくださった全ての皆様に改めて深く感謝を申し上げたいと思います。

 思い起こせば6年ほど前、今よりもちょっぴり、いやあるいはもう少し太っておりました私は、多くの皆様に迎えられながらいわば一人で落下傘降下してきたようなものであったかと思います。

 そして私は何ら後ろだてのない、けれどもその中において時には悩み傷つき、そして悲しみ、あるいは憤る、そうした私利私欲なき方々のために言葉を通じて、そして現場主義と直接対話を実践する中において、多くの方々とともに信州からより良き社会をつくり、そしてそのことが日本全体へと広がっていく、そのことを及ばずながらもともに目指さしていただきました。(拍手)

 私たちのこの信州・長野県、例えば法律を変え、条例を変え、あるいは規定を変え、大都会と同じような景色にすることは、お金があれば、あるいはなくてもとりあえずの借金をすればできるかもしれません。

 しかしながらこの日本海側と太平洋側に多くの清らかな水を水源県として発信をする、この信州の美しい緑や水や、あるいは山々、そしてふるさとの原風景というものは、たとえ大都会の方々がどんなにかお金を投じたとしてもそれは移らせることはできませんし、またそれを築くことも育むこともできません。

 私たちは正に未来の子どもたちに借金の山を残さない、そして未来の子どもたちに(拍手)福祉や教育、医療、環境、あるいは観光という人が人のために尽くして初めて成立し得る、そうした21世紀の確かな私たちの働きぶりによって恵みの山を残そうと、皆様のご協力を得て行ってまいりました。(拍手)

 恐らく明日からは幸いにして少し減量して体重も身軽になりましたので、同じ思いを抱かれる皆様とともに、今度は落下傘ではなく、素晴らしい夢を実現させるバルーンに乗り込んで、この信州から、信州をより良く、そしてまた日本をより良く、信じられる社会を取り戻すために皆様とともに歩めればと思っております。(拍手)

 先程、「信州を思う53万人の会」という新たな会の手続きを済ませ、関係の諸団体から認可をいただきました。(拍手)

 正に、中央、地方というような上下の関係ではなく、それぞれの人口や面積の多寡に係わらず、自律的に年齢や性別、経歴や肩書、さらには国籍や障害の有無を問わず、前を向いて生きていかれる、そうした克己心と向上心に富んだ人々とともに、この信州から私は、正にモットーであります「怯まず、屈せず、逃げず」、そしてさらにはいかなるときにおいてもぶれることなく、地域から日本を変える、そして地域から信州をより良く変える、このことを皆様とともに行える、人々に引き続き奉仕をする、仕える者でありたいと考えております。(拍手)

 私の個人的な話は、通常あまりしないのですが、ある意味では、今この時も軽井沢の自宅におります両親は、母は今日もお弁当を作ってくれまして、最後のお弁当は、少しく忙しくて味わうことができませんでしたが、そして父は毎日、50にもなってお恥ずかしいと皆さんから、あるいはそしりを受けるかもしれませんが、私のスーツに、ズボンにアイロンをかけてくれ、7時31分の軽井沢駅発の電車に乗るために毎日車で送ってくれました。

 今日は澤田祐介、そして青山篤司、丸山ゥという多くの、正にこの社会をより良くするためにともに歩んでくれた方々と一緒にこの後皆様にごあいさつをして、そして車に乗り込んだ後は、できれば大変生意気ですが両親とともに食事をし、そして引き続き地域から信州を、日本を変えることに皆様とともに歩める、そうした人生でありたいと考えております。

 本当にどうもありがとうございます。(拍手)