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コトル Kotor
D歴史的建造物

池田こみち Komichi Ikeda
青山貞一 Teiichi Aoyama
April 2007  無断転載禁
CopyRight:Ikeda K. & Aoyama T.
       
 (1)概要 (2)歴史 (3)景観 (4)建造物 (5)建造物 

■歴史的建造物、ランドマーク、現在の生活



番号番号 エリア名 建物番号 名称
T 武器の広場 1 正門:海の門
2 時計台
3 ベネチア時代の武器庫
4 旧市庁舎
5 王家の宮殿
6 ビザンチ宮殿
7 ベスクーツァ宮殿
U 小麦粉の広場 8 聖ニコラス教会の一部
9 ピマ宮殿
10 ブッツァ宮殿
V 聖トリフォン広場 11 市庁舎
12 聖トリフォンカテドラル
13 司教の館
14 ドラゴ宮殿
15 コトル歴史館
W 美術館広場 16 ボッケリアン海軍本部事務所
17 グレゴリナ宮殿
18 コミュニティ井戸(カランパナ)
X 聖ルカ広場 19 ロンバルディック宮殿
20 聖ルカ教会
21 聖ニコラス教会
22 コトル宝物殿
23 音楽高等学校
Y 川の門 24 聖マリア教会
25 グルボニヤ宮殿
26 川の門
Z 都市の城壁 27 南門:グルディック門
28 聖母教会(Our Lady of Health)
[ 職人通り 29 聖アンナ教会
30 聖ヨセフ教会
31 聖パウロ教会
32 聖フランシス教会
\ 聖ルカ広場から武器の広場へ 33 聖クララ・フランシスコ会修道院
34 聖ミカエル教会

 ※ 参考・引用文献:Kotor City Guide、2005


Y 川の門(River Gate)

 川の門につながる広場はコトルの最も北に位置し、5-6世紀ごろの古代コトルのキリスト教カテドラル教会を中心とした広場になっている。この広場に面して、もうひとつ注目すべき建築物ある。それはグルボニヤ宮殿である。また、この広場から町をとりまく城壁へと入ることができる。



24.聖マリア教会(St.Mary's Church of the River)

この教会は、6世紀頃に建てられた古代キリスト教バシリカ(裁判所や集会に用いられた長方形の建物)の跡地に建設された。ここがコトル最古のキリスト教教会であったとされている。1979年の地震後の調査でそのことが明らかとなった。



 聖マリア教会をあしらったフランス切手。









25.グルボニャ宮殿(Gurubonja Palace)

 16世紀半ば、聖マリア教会の後ろに建設されたが、状態が悪く、1955年には完全に倒壊してしまった。その後、倒壊した建材(石)をひとつひとつ修復し、再建したため、1979年の地震による被害はそれほど大きなものとはならなかった。コトルの貴族グルボニヤ家は15世紀の法律関連の文書の中に現れる。

26.川の門(River Gate)

 川に面したこの門は、1539年に建設された。トルコの提督Hairudin Barbarosaによる1539年のコトル攻撃に反発して建設されたものと言われている。正門に比べて極めて小さく、頑丈な造りとなっている。川には石の橋が架けられ、コトル市外と城壁内を繋いでいる。










 

Z コトルの後背急斜面にのびる城壁(Rampart)

 コトル湾に迫る急斜面に端にへばりつくように建設された都市国家コトルの守りの要は街を取り囲む城壁(ランパート)である。この城壁は、全長4.5kmにおよび、ドブロブニク同様、有料で一周することができるようになっている。



 下は、San Giovanni 要塞。


Source:Wikitravel





 最も高い地点は、海面から250mの聖ジョバンニの要塞である。城壁の幅は、2m〜16mと多様であり、最も高いところで地上20mもの高さがある。

 城壁の建設には数百年を要したといわれており、一部はビザンチン時代(東ローマ帝国)に建設されている。地形を見れば、建設は困難を極めたことが容易に想像できる。

 数百年にわたり、建設作業は続けられそして、修復作業も繰り返されてきたのである。今日の形に完成したのは17世紀、ベネチア共和国が統治していた時代である。

 コトルの城壁は4つの部分に分けられる。

T 低部城壁:北端の門から川沿い、湾沿いとすすみ南端のGurdic門まで



U 南面城壁:南端のGurdic門から斜面を登り、聖ジョバンニ要塞まで



 上記を背景としたモンテネグロの切手。なお、CRNA GORAは、モンテネグロの現地語名。







V 最頂部城壁:聖ジョンの丘の頂上にある聖ジョバンニ要塞

W 北面城壁:聖ジョバンニ要塞からいくつかの小さな要塞を経ながら北部の川側の門に至るまでまで下る要塞


Source:Auther Guerretto, at Image:Montenegro-kotor03.jpg,
     Wikipedia, the free encyclopedia

 なお、城壁の頂上に位置する聖ジョバンニ要塞には、北側の聖マリア教会の前から登るルートともうひとつ、南側のサラダ広場から登るルートがあるが、中腹に建てられた聖マリア教会(Church of Our Lady of Health)で合流する。


[ 職人通り(Craftsman Street)

 コトルは、中世の時代もその後も卓越した職人の町として有名である。城壁都市の中で、職人たちの工房は東側の山際を南北に貫く通りに集中してたため、職人通りと呼ばれていた。職人たちはそれぞれの技能ごとにギルドをつくり、宗教的にもグループを作り同業組合として活動していた。

 それぞれの技術分野に応じて、成分法(規則・定款)が定められていた。主なものは、先に述べた海事のほかに、十字架、聖霊、靴、皮鞣し、肉屋などについての文章化した規則・法がが定められていた。

 聖霊(Holy Sprit)については、46もの異なる分野の職人たちがグループを作っていた。1326年〜1337年に制定された最初の法律書には、次のような職についての規定が盛り込まれていた。



 金細工、靴の製造、石工、鍛冶や、毛皮加工、大工、仕立職人、帽子職人、鍵職人、ベルト職人、製本、楯職人、刀鍛冶、粉屋(製粉屋)、パンや、漁師、旅館経営者、塗装職人、等々。これらの職が栄えたと言うことがコトルの町の反映を物語っている。



29.聖アンナ教会(Santa Anna Church)

建設の年次は明らかではないが、聖ルカ教会に似た建築様式をもっているため、12〜13世紀の建造物ではないかと考えられる。内部には聖クリストファなどのフレスコ画が残されている。この教会も何回となくその形を変えているが、最終的には1979年の地震の後、修復され現在に至っている。


\ 聖ルカ広場から武器の広場へ抜ける路地

32.フランシスコ会修道院サンタクララ(Franciscan Monastery of St.Clara)

 1288年、セルビアの女王によって、最初のフランシスコ会修道院がコトルの城壁都市の外側、南門に隣接して建てられた。しかし、トルコ軍が攻め入って修道院を使用することを恐れ、1656年に自ら破壊してしまうのである。その後、1695年に新たな修道院が南側に建設された。

 現在は、ベネディクト会の女史修道院の隣に位置している。14世紀ごろに、フランシスコ会女史修道会が建物を取り戻し、16世紀末には同会の修道院となっている。教会では聖クララを守護聖人として奉っている。コトルの人々はこの教会をパドゥアの聖アントニオ教会と呼んでいる。

 その後、フランス統治時代(1807〜1813)には、修道院の利用目的が変えられた。

34.聖ミカエル教会(St.Michael's Church)

 この教会については1166年の聖トリフォンカテドラルの奉献の時に初めて記録に登場する。1979年の地震の際の調査により、この教会の基礎部分は現在の建物の下に残っていることが明らかになった。

 9世紀ごろに最初に建てられた教会はおそらく現在のものよりも小さかったものと考えられている。現在も、内部に当時のフレスコ画が残されている。現在の建築物はロマネスク-ゴシック様式となっている。建築様式から判断し、14世紀から15世紀初頭にかけて改築されたものと考えられている。


聖ミカエル(マイケル)教会

コトルと地震

 コトルの町は繰り返し大きな地震に見舞われ、その都度復興されてきた。地震ごとにその様相を変えてきたと言ってもよい。

 最初の地震は、361年〜367年に発生したとされているが、その後、歴史に刻まれた地震は、1537年、1563年、1667年、そして1979年に発生している。

 1667年4月6日にコトルを襲った地震は、町全体の2/3の建物を破壊した。

 歴史書によれば、そのとき、聖トリフォンカテドラルの鐘楼が破壊されたため、コトルの議会は議会招集のために鐘を打ち鳴らすことができなかったと記している。

 ちなみに1667年の大地震はクロアチアのドブロブニク旧市街にも甚大な被害を与えている。

 1979年4月15日の地震が直近の地震である。コトル城壁内はもとより、周辺の市街地も壊滅的な被害を受けたが、旧ユーゴスラビアや近隣諸国の援助のおかげで、1987年9月10日に再開することができたのである。この地震の被害はまだ城内の各地に残っている。

 ところで、この季節、ドブロブニクでも日本人の観光客はそれほどいないが、コトルとなるとほとんど日本人はいなかった。 それほど人里離れており、来るだけでも相当大変だ。
 
未了