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ポーランドは、まだ
ウクライナにヒョウ戦車
を供給していない

ヒョウ戦車はレオパルト 2 戦車のニックネーム

Польша пока не будет поставлять на Украину танки Leopard
kommersant War in Ukraine #2369  7 Jan 2023

ロシア語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2023年1月8

写真:マイケル・ソン/ AP

 ポーランドは、レオパルト 2 戦車をウクライナに単独で供給することはない。 ポーランドの首相マテウシュ・モラヴィエツキによると, 彼はこれを「より広い連合で」行うことを望んでいる。.

本文

 「(ポーランドのコメルサントの)大統領と一緒に、この重い近代的な設備(ウクライナのコメルサント)を移転できる、より広範な国々の連合を構築することを目指して交渉している。

 今のところ言えることはそれだけである。

 大統領も参加して会話は進行中である。

 数週間前、ブリュッセルで(ドイツの- コメルサント)ショルツ首相とこのことについて話したが、今後、数日中にこれについてもっと知ることができると思う」とモラヴィエツキ氏は記者会見で述べ、ジャーナリストからの関連する質問に答えた ( Rpからの引用)。

 ポーランドがドイツ製のレオパルド戦車をウクライナに移管することを検討しているという事実は、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)がポーランドの高官の発言を引用して報じた。

 以前、ウクライナでの武力紛争が始まったとき、ポーランドはウクライナに240台以上の近代化されたソビエト式の戦車を供給した。

 「ポーランドには 240 両以上のレオパルト戦車があり、2 旅団に十分な量であり、ワルシャワは最終的にそれらすべてを引き渡す予定」と、ポーランド国際関係研究所の所長である スラヴォミール・デンブスキー(Slawomir Dembski)氏は述べている。

 フィンランドでは、ポーランドと同様の立場がとられている。そのため、議会防衛委員会の議長であるアンティ・ハッカネンは、他の EU 加盟国が戦車をウクライナに移転し始めた場合、フィンランドは武器の供給に加わり、ドイツのレオポルド2( Leopard 2) 戦車をウクライナ軍に送ると述べた。デンマークがウクライナに戦車を供給する準備ができていることも報告された。:


◆レオパルト2(Leopard 2/Leopard Zwei)
  出典:日本語Wikipedia

  レオパルト2は西ドイツが開発した第3および第3.5世代主力戦車である。製造にはクラウス=マッファイ社を中心に複数の企業が携わっている。

開発の経緯

 レオパルト1は、1965年に登場したが、そのころからソ連戦車の進歩に対応するため、120mm滑腔砲を採用した強化版が検討されていた。しかし、これはアメリカとのMBT-70の共同開発プロジェクトを推進するためにキャンセルされた。

 そのドイツ版KPz-70は革新的な設計であったが、計画よりコストが増加し、西ドイツ(当時)は1969年にプロジェクトから撤退した。

 これに遡る1966年、前年に運用開始されたレオパルト1をKPz-70のレベルに性能向上させる金メッキのレオパルトプロジェクトが、ポルシェ社に発注された。この計画は2年で期限満了となる予定だったが、KPz-70開発の先行きに不安が生じており、カイラー(Keiler)計画として発展し継続されることとなった。1969年から翌年にかけて車体をポルシェ社、砲塔をヴェクマン社が担当した2輌の45t級試作車ET01/ET02が製造され、これは後のレオパルト1A3/A4の物に類似した溶接組み中空装甲砲塔と射撃統制装置を搭載していた。同年のKPz-70計画からの撤退により、これらにKPz-70のコンポーネントを組み込む「エーバー(Eber)」案もあったが、実現していない。

1971年、MBT-70/KPz-70計画は正式に中止となり、ドイツ国防省から新型50t級戦車の開発指示が行われた。その名称はレオパルト2と決定され、元のレオパルト戦車はレオパルト1となった。同年17輌の試作車(PT01からPT17)が発注され、翌年から1974年にかけて納入され、逐次試験が行われた。なお、PT01から05、及びPT11、12は通常鋼を用いて作られ、それ以外は量産型同様の防弾鋼で作られている。

14番試作砲塔は、新しい装甲の形状をテストするために改造され、ほぼ垂直のスペースド・アーマー(中空装甲)の採用と、砲塔後部の弾薬格納庫[1]によってレオパルト1よりはるかに大型の箱型砲塔となった。このように、レオパルト2はしばしば言われるようなチョバム・アーマーではなく、当初は中空装甲を採用した。

試作14号車は、ラインメタルの120mm滑腔砲を採用した。アメリカのM1エイブラムスもやがて同じ砲を採用することとなった。その後、2輌の試作車体と3基の試作砲塔が発注された。20番試作砲塔は105mm砲 L7とヒューズ社の射撃管制装置を装備し、19番試作砲塔は同じ射撃管制装置に120mm砲を装備した。

21番試作砲塔はヒューズ社とクルップ社の共同開発の射撃管制装置と120mm砲を装備していた。


レオパルト2の試作車、レオパルト2K(105mm砲搭載型)
Source:Wikimedia Commons: CC 表示 2.0, リンクによる

 1976年夏に19番試作砲塔と車体が、20番の試作車体と装甲防御をテストするための特殊車両と共にアメリカに送られた。この試作車は簡略化された射撃管制装置を装備していたため、レオパルト2AV(簡略化〈austere〉バージョン)と呼ばれた。

 同年9月1日からレオパルト2とXM1(M1エイブラムスの試作車)との比較テストがアバディーン性能試験場で開始され、同年12月まで続いた。

 アメリカ陸軍はレオパルト2とXM1は火力と機動力は同等だが、レオパルト2の装甲はより優れていると報告した(砲は同じ105mm砲 L7を装備していたものと思われる)。

 今日、成形炸薬弾に対してはこの報告は事実であると判明しており、徹甲弾に対してはレオパルト2の装甲はXM1のおよそ2倍の強度を発揮した(XM1の350mm厚相当に対して650mm厚相当)。

 レオパルト2の多燃料対応型ディーゼルエンジンは、騒音は大きかったが発熱量は少なく、より信頼性が高く、燃費も良かった。20番の試作車体は砲塔の代わりにダミーウェイトを取り付けられて試験された。

 比較テストを終了した車体は全てドイツに送り返されたが、19番の試作砲塔のみ残されて7番の試作車体と組み合わされると共に、ラインメタル120mm砲に換装された。3月までのテストでこの砲はM1エイブラムスの初期型が搭載していた105mm砲 L7よりはるかに優れていると判明し、引き続いて行われたNATO軍の戦車射撃競技会でも同じ結果が確認された。

最初の量産型(最終タイプ) レオパルト2A4

 1977年1月にドイツは3輌の車体と2基の砲塔からなる量産試作車を発注したが、これらは車体前面により強化された装甲を装備していた。競争入札の結果、クラウス=マッファイが生産システム管理を行う主契約社、MaKが副契約社となった。そして1,800輌のレオパルト2が発注され、5つの量産バッチに分けて製造された。最初のバッチは1979年10月25日に納入された。