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1818年の欧州版図とロシア領土
1867年のロシアのアラスカの米国への売却

青山貞一(東京都市大学名誉教授) 
War on Ukraine #4539 5 Feb. 2024


E-wave Tokyo 2024年2月5日

出典:ロシアとウクライナの起源 youtube
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 上の版図は、ロシアの欧州方面で最大時時の欧州各国の領土である。

 この時代、ロマノフ朝のロシアはエカテリーナ二世の治世となっている。上の版図はエカテリーナ二世の治世1818年のものです。

 エカテリーナ二世は外交、軍事とともに、サンクトペテルブルグの町の基礎をつくり、エルミタージュ宮殿(今のエルミタージュ美術館)を創建、文化の黄金期をつくっている。


特集 青山貞一・池田こみち:厳寒のロシア2大都市短訪


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 この時代、エカテリーナ二世は黒海に面するオデッサの町を創建している。この町は後にウクライナ南部の港町となるが、今回のウクライナ紛争で、ウクライナはそのエカテリーナ二世の銅像をなぎ倒している。

  ※注:オデッサ、エカテリーナ2世記念碑の解体を決定
     文:オルガ・イワノワ VZ  War in Ukraine #1891 8 Nov 2022
     ロシア語翻訳・青山貞一(東京都市大学名誉教授)

 ※注:オデッサは自らの歴史を破壊している
     Vesti  War in Ukraine #1889 7 Nov 2022
     ロシア語翻訳・青山貞一(東京都市大学名誉教授)

 なお、この時代、クリミア半島を支配していたクリミア・ハン国はじめフィンランド、バルト三国、ポーランドの東側半分などもロシアの領土となっている。

 ロシアはその後、第二次世界大戦の戦勝国として、ポーランド、リトアニア、フィンランドをそれぞれの国に返却し独立させたが、プロイセンの東側領土(ロシアから見飛地)をカリニングラードとして得る。

 ちなみに20世紀以降のウクライナの大まかな位置を〇(青色の楕円)で示してある。



出典:ロシアとウクライナの起源 youtube

 一方、上の地図は、1867年、ロシアの領土を示している。

 その領土だったアラスカを米国に720万ドル(現価格、約10兆4400蔓延)で売却しる。

 イーロン・マスク氏なら、今なら個人でアラスカを購入できる額である。

 ロシアはクリミア戦争に敗れたアレクサンドル2世は近代化改革に迫られたため財政難に陥り、自国領であったアラスカをアメリカへの売却を申し出た。

 ※中:アラスカの米国への売却
  交渉が成立し、1867年3月30日に売却されたが、その価格は
  わずかに720万ドルであったという。南北戦争後の国土統一を
  進めていたアメリカ合衆国(リンカンは暗殺されていたので大統領
  はジョンソン)にとっては好条件の取り引きとなった。出典:世界史の窓

 後にアラスカには貴重な鉱物資源、石油埋蔵があることが分かり、ロシアは歴史的な大損害したことになる。

 極東アジアでは、ロシアの領土は、ほぼ現在と同じだが、その後の日露戦争で日本に負け、樺太などが日本に分かりますが、その前の1867年、樺太などはロシア領となっています。

 日露戦争は、1904年(明治37年)2月から1905年9月にかけて大日本帝国(日本)とロシア帝国と戦争で、大日本帝国が勝利している。