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ウクライナのゼレンスキー
大統領とは
(Volodymyr Zelensky)

解説:池田こみち


独立系メディア E-wave Tokyo 2022年2月5日
 

ウォロディミル・ゼレンスキー
Володимир Олександрович Зеленський Владимир Александрович Зеленский
Source:Wikimedia Commons President.gov.ua, CC 表示 4.0, リンクによる

本文

 年明けからウクライナ危機が日々緊張の度合いを増しているように見える。イギリス、オランダ、デンマークが武器や資金を供与したり、アメリカも武器をキエフに空輸し、隣国に派兵までしている。

 一方で、当事者であるウクライナの大統領は、数日前には国内外に向けて「騒ぎすぎ」と火消しをするような発言をし、1月末には西側諸国にパニックを創り出さないように求め、首都キエフでの記者会見では、「ロシアの侵攻が迫っているとする警告が、ウクライナ経済を危険にさらしている。報道機関そのものがウクライナ経済を危機にさらしている*1」と述べていた。

 ※ 1/29 BBC
 ウクライナ大統領、西側諸国は「パニックを作り出すな」 
 ロシアとの緊張めぐり 


 しかし、その直後、ジョンソン首相や欧州首脳と会談して協力を求め2月1日には、英国の支援で海軍を増強する計画を明らかにした。*2いったい何を考えているのかその深意がウクライナ国民にも見えていないのではとすら思える。

 ※ 2/2 Bloomberg
 ウクライナが英の支援で海軍増強へ、プーチン氏は外交
 努力になお期待


 実際のところ、現地ウクライナでは、ロシアの国境付近での動きはいつものことで、日常だとの見方が広がっていたにもかかわらず、昨年秋から、欧米メディアが盛んにロシア・ウクライナ国境付近でのロシア軍の動きについてことさら報道し危機を煽ってきた感は否めない。

 以下はアメリカメディアの報道について指摘しているBBC(ロシア語)の記事の一部である。

...国境へのロシア軍配備については、ワシントン・ポスト紙が最初に報じ、数日後、Politico(筆者注:政治に特化したアメリカ合衆国のニュースメディア)はロシアとウクライナの国境付近に大量の機材が集中している衛星画像を公開し、Bloombergはロシアで始まったとされるソ連時代以来最大の予備兵の徴兵について報じた。しかし、結局、異常なまでの大規模な予備役の動員は確認されなかった。
(BBC 2022.2.2, Ольга Ившина Би-би-си, ウクライナをめぐる危機:なぜ今なのか、ロシアは行動計画を持っているのか? :翻訳は筆者。 https://www.bbc.com/russian/features-60222704)

 昨年末のタス通信ニュース*3によると、「大統領選挙で彼を支持する用意がある人は16.7%と最大である一方、いかなる状況でも彼に投票しない有権者が32.4%と多くなっている。」とのことで、大統領が国民の意思を受け止めた政策決定や政治判断をしているのか疑問もある。

 ※3:2021年12月20日 20:35
  ウクライナ大統領候補の支持・反支持率でゼレンスキ
  ー氏がトップ、ペトロ・ポロシェンコはともに2位
  https://tass.ru/mezhdunarodnaya-panorama/13247803


 そこで、ここでは、ゼレンスキー大統領とはどんな人物なのか、改めて探ってみることにした。


1.バックグラウンド

 ゼレンスキー大統領は44歳。3年前の2019年5月、41歳の時に、ウクライナの第6代目の大統領に就任した。ソ連時代に幼少期を過ごしたゼレンスキーの祖父は大祖国戦争(対ナチスドイツ戦)に参加し、その後もソ連軍、警備隊の一員として活躍した。

 政治家になる前のキャリアは、非常にユニークで、理工系の学者・専門職だった両親に育てられ、自身もキエフ国立経済大学のクリヴィー・リフ経済研究所で学んだが、卒業後は大学で学んだこととは全く関係のない、芸能界で長年活躍してきたという。音楽の演奏活動に端を発し、その後はテレビ番組のプロでユーサー、映画の脚本作家、監督、俳優、プロデューサーとしても多くの作品に係わり国内で人気を博していた。

 特に映画に関しては、ウクライナ国立テレビ賞「Teletriumf」の30以上の賞を受賞したり、多くの国際映画、テレビフェスティバル、メディアフォーラムの賞を受賞するほど高い評価を得ていたという。

 出典は:Зеленский, Владимир Александрович
    ロシア語Wikipedia他



2.政治家としての転身

 そのゼレンスー氏が、なぜ突然ウクライナの大統領になったのか、その背景、プロセスは非常に興味深い。日本でも「コメディアンが大統領に」と報じられたことを思い出す。

 大統領選挙があったのは2019年4月だが、ゼレンスキー氏は2018年12月に突然、大統領選への出馬を表明した。背後には「国民の僕」という彼が主役を務めていたテレビドラマがあった。

 「国民の僕」は、2015年10月16日に初公開されたウクライナの政治風刺コメディーのテレビ番組で、30代の高校歴史教師役を演じたのがゼレンスキーだった。そのドラマの中で、ゼレンスー演じる教師が政治の腐敗や汚職について激しく批判し、その発言がソーシャルメディアを通じて拡散されたことで国民的人気者となり大統領になるというストーリーである。

 この番組はウクライナで大人気となったことから、ゼレンスキーは自らが共同経営していたエンタメ制作会社(Kvartal95)をベースに、このドラマと同じ名前の「国民の僕」(Servant of the People)という政党をつくり、議会での多数派を獲得することを目論んだ。党の結成(改名)は2017年12月だったとされている。

 そして、2019年の大統領選挙で、ゼレンスキーは決選投票を経て現職大統領ポロシェンコに圧勝し、大統領に就任すると直ぐに議会を解散し、同年7月に総選挙を行った。その結果、全450議席のうち、254議席を「国民の僕」が獲得する圧勝となり、彼は最高議会第一党に所属する議員として大統領の座に着いたのである。まさに、テレビドラマや映画のプロデューサーとしていの手腕を遺憾なく発揮した展開となっている。


図1 2019年の議会選挙の結果(245/450議席で圧勝)
出典:Servant of the People (political party) En.Wikipedia

 図2は、現在のウクライナ最高議会の党派別構成と議席割り当てである。


図2 ウクライナ最高議会の党派別構成
出典:ウクライナ最高議会Webサイト http://w1.c1.rada.gov.ua/pls/radan_gs09/ns_zal_frack


3.問われる政治家としての手腕

 かくしてウクライナ最高議会第9回(2019年~)の大統領となり、今日に至っている。就任当初は、ウクライナの統一、融和などを理念として打ち上げ、ロシアとの融和による東部エリアの問題解決に意欲を示していたものの、具体的な成果がでないまま三年が経過し、次第に欧米の支援を当てにしてロシアへの態度を硬化させていった。

 そもそも、ウクライナ最高議会、また大統領は、東部地域のクリミア地方とドンパス地域(ドネツクとルガンスク)の紛争の解決のために2015年に合意したミンスク・プロトコルの履行が大きな責務として課せられているはずだったが、それに対してはなんら積極的な動きしてこなかったことは間違いない。

 それどころか、昨年2021年5月には、アメリカのブリンケン国務長官と会談し、ウクライナへの米国の支持を確認し、さらに同月に本格的に始まった北大西洋条約機構(NATO)主導の合同軍事演習「ディフェンダー・ヨーロッパ21」にウクライナ軍を参加させ、ロシアを刺激している。*4

 ※注)ディフェンダー・ヨーロッパ21((Defender Europe 21)
  主に北大西洋条約機構(NATO)支援を目的とした米国
  主導の年次演習であり、2021年5月から6月にかけて、東
  南欧州に位置するバルカン半島と黒海における30ヶ所超
  の領域で同盟諸国26ヵ国2万8,000人の兵士が関与して実
  施された。ディフェンダー・ヨーロッパ21は、兵站の課題を
  克服し、はるか遠方に陸軍を迅速に展開できる米国の能
  力を実証するものとされている。米国が世界規模で実施し
  ているこの種の軍事演習は、提携・同盟諸国との関係強
  化を目的としている。

 ※4 出典:産経新聞 対話から対露対決に舵 ウクライナ大統領就任2年
    2021/6/1 06:00 小野田 雄一
https://www.sankei.com/article/20210601-NCDGHBB5PNI2TH4KFVA5XRYL54/


 その背景には、2015年に国際合意しているミンスクⅡの協定での合意内容がウクライナイにとって不利な内容となっているとして協定の見直しをロシアに迫ることを画策していたというのである。大統領に就任して次第に対ロ強硬路線に変更していったのは、国民の支持率の低下も一因とされている。

 ウクライナの世論調査によると、就任直後に約80%近くあったゼレンスキー氏の支持率は1年間で57%まで低下。新型コロナウイルス禍による経済状況の悪化なども背景に2年後の2021年半ばには30%前後まで落ちてた、という。*4それがさらに、年末には17%まで下がっているのだから国内向けに自らをアピールする政策が必要だったことは間違いないところだろう。