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行政と学者の狡猾な手口

千葉市ごみ処理施設
建設検討市民委員会の例
梶山正三
弁護士、理学博士
掲載月日:2012年3月22日
 独立系メディア E−wave Tokyo

 
 本稿は、梶山正三弁護士に池田こみち(独立系メディア E-waveTokyo)がインタビューしたものである。

 「市民参加の場で議論を」と言えばいかにも民主義的な手続きで政策が立案され決定されていくようなイメージを与え、市民はそのことで満足してしまいがちである。しかし、日本の情報公開のレベルや行政の政策立案プロセスにおける市民参加の実態は依然として見せかけに過ぎないことを知る必要がある。

 以下は千葉市が住民推薦委員を交えて「ごみ処理施設建設検討委員会」を開催し、ごみ処理施設の建設を誘導しようとした事例である。本件は市民が提訴して裁判となったものであり、私(梶山正三弁護士)は住民側の代理人として関与した。

 まず、「住民側推薦委員」を入れた「検討委員会」が、行政に悪用された(アリバイ作りに利用された)事例は少なくない。筆者が19年前に関わった千葉市の「検討委員会」はその典型的なものだった。

 当時の千葉市長(松井旭)は「検討委員会」に「自由で誰にも拘束されない議論」を求めた。学識委員としては、当時のゴミ問題の大御所3名、平山直道(当時、千葉工業大学教授)、寄本勝美(当時、早稲田大学教授)、後藤典弘(当時、国立研究所総合解析部長)が入り、住民側委員として市民3名が加わった。寄本が座長になり、行政側の意向を受けて、総額190億円のゴミ処理施設建設の是非を検討する委員会だったが、結論は決まっていた。

 3名の学識経験者は、千葉市長の意を受けて結論として「ゴミ処理施設建設のゴーサイン」を出すことを目指していたのだ。こうした行政の意図は、通常は内密のまま終わるのだが、本件は違っていた。住民側が行政と学識経験者の会合をホテルまで尾行し、さらにお土産をもらってタクシーで送られる現場までキャッチした上、学識経験者の1人(後藤)を裁判所で証人尋問することに成功したからである。上記の3名の学識経験者委員は第3次訴訟では、被告にもなっている。

 そのうえ、全体計画を立案していたコンサルタント(株式会社オストランド)の社長に住民側の闘士が接触して、学識経験者に住民側委員とは別口の「謝金」がわたっていることまで突き止め、そのやり取りのテープも裁判に提出された。

 「検討委員会」は、住民側の凄い論客が入ったこと、また行政と学識経験者との裏取引が明らかになったために紛糾を重ね、1年半もかけた後、結局は結論を出せずに終了した。委員会開催時には、学識経験者委員がコンサルタントから別途受け取っていた金額までは不明だったが、後に1人当たり146万円が学識経験者委員に渡ったという金額も判明している。

 住民側は裏取引の実態の証拠に加えて、独自に「ゴミ処理施設建設検討市民委員会」(座長熊本一規氏)を立ち上げ、ゴミ処理施設を新設しないでも ゴミ処理に支障はないという報告書をまとめ、学識経験者への裏金の返還等も求めて第1次から第3次まで、三度にわたり千葉地裁に提訴した。

 しかし、千葉市長は、「検討委員会に自由な議論を求めたが、結論を出すのは私だ」「検討委員会で学識経験者に別口のお金を支払ったとしても、それは、検討委員会の結論に影響はないし、検討委員会の結論がどうなっても、ゴミ処理施設建設は既定路線だということに問題はない」として争ったのである。

 住民側は、さらに、これらの訴訟で旧厚生省の補助金担当の官僚(三本木)が千葉市長から接待を受けていた事実をも掴み、その証拠写真を持って旧厚生省に乗り込んみ既に決定していた「補助金」交付をストップさせることにも成功している。

 旧厚生省の補助金担当の官僚、三本木徹は、1991年の廃棄物処理法改正の時に、活躍した官僚の一人である。千葉市の事件の時は、一般廃棄物処理施設の補助金交付を担当し、事実上、決裁権を持っていた。

 千葉市の住民Sさんは、三本木が千葉市内のホテルで千葉市長と会合するという情報を掴み、尾行して、三本木が千葉市の幹部職員に送られ、大きなお土産の袋を持ってタクシーに乗り込む現場を写真撮影した。その写真をもって、補助金交付の手続がなされる直前の年度末に旧厚生省に乗り込んだのだ。

 「貴方のような優秀な官僚(三本木)をこんなことで挫折させるのは忍びない」「ついては、千葉市の補助金は、どうにかすべきではないか」というやり取りの中で、結局は交付寸前の補助金の交付を停止に追い込んだ。

 三本木は「停止理由」には苦心したようだが、ゴミ処理施設の基本となる「千葉市ゴミ処理基本計画」にクレームを付けて、その点の改善案を出すまで補助金は停止するという措置を執った。

 本件は、まさに、住民側の情報獲得と闘志が生んだ異例の展開となった。その結果として、新ゴミ処理施設は、予定より5年間遅れることとなったのである。

 しかし、これだけの情報獲得と住民側の熱意、様々な秘密情報の曝露、住民サイドの報告書の提出などがあったのに、裁判は全て住民側敗訴に終わっている。司法の中立性が問われる判決として歴史に禍根を残す結果となったことは間違いない。

 この事例から住民が学ばなければならない最も重要な点は次の点である。

◆国の環境行政も、自治体の環境行政も、おそろしいほど堕落しているという現実を肝に銘じることである。この国に環境行政は存在していない。現行の環境法令の大部分は「合法的に環境を破壊、汚染するため」の規定に満ちている。このことは、住民側の識者にも余り認識されていないことではあるが、その点こそが裁判で闘う上でのネックともなっている。

◆行政の狡猾さ、住民側に徹底的に背を向けている現実を認識して欲しい。徹底した行政不信は住民運動には不可欠である。行政を信用し、それに 依存することは、敗北への道だとすら考えるべきである。千葉市の事件に登場する3人の学者もある意味「ワル」ではあるが、自分が責任をとらないでうまく切り抜け、生き延びたエリート官僚の 「ワル」ぶりが上回っているという気がする。

◆裁判所は頼りにならない。裁判官は、学業の成績は良く、司法人事を掌握している側(最高裁事務総局)から見ると「使い勝手の良い人たち」には 違いないが、事実を直視しようとしない、現場に行きたがらない、人の話を聞くのが下手、裁判所の中にいて書類だけ見ているだけで結論が出せるという思い上がりに頭を占領され、少しでも早く事件の結論を出すことが 「優秀な裁判官」というレッテル獲得に必要だと思っている人たちが大部 分であり、このような人たちに正しい結論を期待することは土台無理と考えた方がよい。

 上記の千葉市の事件は、裁判記録としては既に公になっている。この事件の全貌を知る人は少ないが、こうした構造がこの国を支配してきたことを改めて思い起こしておく必要があるだろう。


(聞き書き 池田こみち) 2012.3.22