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富士五湖、自然と文化・歴史短訪

富士信仰2
Mt Fuji worship

青山貞一・池田こみち
 独立系メディア E-wave Tokyo 2023年9月30日
 

富士山本宮浅間大社 - Wikipedia

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富士信仰1  富士信仰2

富士山信仰   出典:御師・河口個人あÝ資料

 現在、世界文化遺産に登録されて注目の富士山。

 近年は、7月と8月で富士山に登る人は、約20万人(8合目以上)を超えている。登山ブームもあるだろうが、富士山は古くから信仰の山としても人気の山であった。

 8~9世紀には、度重なる噴火で富士山は畏怖心から噴火を鎮めることを願って浅間神社を各地に建てた。河口浅間神社もその一つである。

 その当時は、富士山自体に神を見い出し、「浅間大神」として崇めた。

 12世紀には、噴火も沈静化して、遥拝の山から登拝の山へと移って行く。ただし、修験道の道者の修行の場であった。

 やがて、一般大衆が極楽浄土を目指し、登拝が盛んになるのは、江戸時代になってからのようだ。

 山梨県では、甲府や長野・埼玉・群馬などから、御坂峠を越えて河口浅間神社(現在の富士河口湖町河口)からの登拝者が多く、最盛期には140ほどの宿坊があったと言われている。

 この宿坊は、「御師(おし)」と言われ道者に対して宿や食事を提供するだけでなく、祈祷も行う神職の集団の宿であった。江戸時代も後期になると、江戸から甲州街道を経て富士吉田の浅間神社からの登拝が盛んになった。これは、富士講と呼ばれる江戸からの登拝者です。登拝は河口から吉田へと移行していった。

 この「御師」たちは、登山時期の前後、春と秋に檀那場(道者=信者の住んでいる場所)の元へ布教活動とともにお布施(初穂料)を集めていました。この時などに、富士山の絵札=護符と言われる「富士山牛玉(ごおう)」や御影(みえい)と言われる神仏の尊像などを配布しました。


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