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世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

日蓮聖人波題目碑

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
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  日蓮聖人波題目碑    蓮堂・日蓮洞窟


◆日蓮聖人波題目碑
 
 次は真浦沿岸にあった日蓮聖人波題目碑である。県道45号線の沿道にあり、ついつい見過ごしてしまうほどひっそりとあります。

 ただ県道45号線を挟み反対側に日蓮堂・日蓮洞窟の看板があるので、見落とすことはない。


出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ

 以下は日蓮聖人波題目碑。

 県道45号線の沿道から撮影。


出典:青山貞一 Nikon Coolpis S9900

 鎌倉幕府から赦免された日蓮聖人が船出した「真浦の津」に建ちます。

 この地の言い伝えによれば、聖人が沖に向かう船の上から朝日に向かって合掌すると、波間から「南無妙法蓮華経」の7文字が浮かび上がったとされています。

 真浦地区は日蓮聖人ゆかりの地として、多くの伝説が残り、「日蓮堂」「日蓮洞窟」などの霊蹟が点在しています。


出典:さど観光ナビ(文)

◆佐渡の地に別れを告げた、真浦の海

 日蓮聖人の3年に及ぶ佐渡流罪も、とうとう終わりを告げる日が。文永11年の春のある日、鎌倉より放免状が届いたのです。その数日後に、日蓮聖人は佐渡の地を後にし、鎌倉へと向かったそうです。

 その際、最後に足跡を留めた場所が、現在の赤泊のあたり。穏やかな海岸線沿いに、ポツポツと畑や民家が続く、のんびりした集落です。

 離岸の地「真浦霊跡」を訪ねてみると、波題目の碑が残っていました。

 真浦に伝わる“波題目”とは、新月の晩に信心を凝らして海を見ると、月明かりに照らされて波間に題目の文字が浮かぶという伝説。想像するだけでも、とても美しい情景ですよね。

 でも残された村人の気持ちを想像すると、自分の信仰を変えるほどの影響力を持った大切な人が、佐渡を離れていく――。晴れて放免となった喜びと、別れの寂しさが入り混じった気持ちだったのでは?この美しい伝説には、残された信者たちが、去った日蓮聖人を偲びながら、一心にお題目を唱える姿が映し出されているようです。

 続いて、旅立つ日蓮聖人を新潟県柏崎市のあたりまで船で送り届けたという旧家「船元家」が建てたお堂「日蓮堂」へ。

 少し山に入った所にひっそり佇む小さなお堂は、草に覆われているうえ、とても古びています。やや荒れた印象がありますが、お堂の中には大事そうに手入れされたお曼荼羅が掲げられていました。本行寺の武藤上人によれば、ここは地元の有志の方々が手入れをしてくれているのだそう。

 年に二度は、その地元の方々が日蓮堂に集まり、お題目を唱えるということですが、なんと、集まる方々の大多数は日蓮宗以外の宗派とのこと。
過去に村に立ち寄り様々な逸話を残したひとりの人間・日蓮聖人を偲ぶ思いと、宗派は関係がないのかもしれませんね。考えてみれば、とても人間らしく、自然な話です。

出典:日蓮宗 寺院めぐり


つづく