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メアリー・ステュアートの足跡を追って
スコットランド
2200km走破


ロバート・バーンズ

Robert Burns

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
2018年12月10日公開
独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁


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アロウェーの公園  ロバート・バーンズ   ダンフリーズ1
ダンフリーズ2     ダンフリーズ3      ダンフリーズ4
ダンドレナン修道院1    ダンドレナン修道院2 
ダンドレナン修道院3   ダンドレナン修道院4

出典、翻訳等について

 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。

◆ロバート・バーンズ(Robert Burns)

 ロバート・バーンズ(Robert Burns、1759年1月25日 - 1796年7月21日)は、スコットランドの国民的詩人である。スコットランド語(Scots language)を使った詩作で知られ、スコットランド民謡の収集、普及にもつとめていました。


ロバート・バーンズ
Sorcce:Wikimedia Commons
パブリック・ドメイン, リンク


◆ロバート・バーンズの生涯


バーンズの生家(スコットランド、エアシャー)
Sorcce:Wikimedia Commons
CC BY-SA 4.0, Link



バーンズ・モニュメント(スコットランド、エディンバラ)
Sorcce:Wikimedia Commons
CC BY-SA 3.0, Link


 1759年、バーンズはスコットランド南西部サウス・エアシャイア、アロウェー(Alloway)の貧しい小作農の家に7人兄弟の長男として生まれた。敬虔な長老教会信徒で教育熱心なロバートの父親は息子たちに読み書きを学ばせ、ロバートは弟とともに農場で働きながら詩を作り始める。

 1781年、ウィリアム・ウォレスを英雄と仰ぎアメリカ独立戦争の精神に共感していたロバートはフリーメイソンに加入、そこで得た人脈はのちの彼の詩人としての成功の足がかりとなった。

 1783年からスコットランド語のエアシャイア方言を使った詩作を行ない、1786年には初の詩集(Poems- Chiefly in the Scottish Dialect)が出版される。これは今日ではキルマーノック版(Kilmarnock Edition)と呼ばれるものである。この成功を受けて、翌1787年にはエディンバラでも彼の詩集が出版される。

 ロバートはしばしば複数の女性と親密な関係をもった。1788年、かねてから恋人だったジーン(Jean Armour)と結婚したが彼女との間の5人の子のほかに彼には9人の私生児がいた。「ハイランドのメアリー」(Highland Mary)も数多くいた恋人の1人に捧げられた詩である。

 私生児の養育費も含めてかさむ家計を支えるには詩作で得た収入では足りず1789年、ロバート収税吏の仕事につく。この時期、『シャンタのタム』(Tam o'Shanter)や『我が恋人は紅き薔薇』(Red, Red Rose)などの優れた作品が生み出された。また自ら収集し、新たに作詞し直した民謡をMusical MuseumやSelect Collection of Original Scottish Airsなどで発表した。

 詩人としての大きな名声を得た一方で、ロバートはリウマチ熱に苦しみ1796年、心疾患のため37歳で没した。

評価

 「農民詩人」(Ploughman Poet)、「スコットランドの最愛の息子」(Scotland's favourite son)、「エアシャーの大詩人」(Bard of Ayrshire)とも呼ばれるスコットランドの国民的詩人である。

 スコットランド語を詩作に用いたことでよく知られるが、大半の彼の作品は英語で書かれ、その一部にスコットランド語を含めた形式のものである。このことによって、スコットランド語話者のみにとどまらない読者層を獲得したともいえる。その作品には、弱い立場にある者への愛情、社会の不正義への風刺が含まれている。

 ロバートはイギリスにおけるロマン主義運動の先駆者とされ、今日でもスコットランド文化の象徴的存在として影響力をもっている。クライズデール銀行が発行するポンド紙幣に肖像が使用されている


愛唱されるバーンズの歌

 ロバートが収集し自ら改作した数々のスコットランド民謡は、世界各地で親しまれている。日本でもAuld Lang Syneは『蛍の光』として、Comin Thro' The Ryeは『故郷の空』としてなじみ深い。



Andre  Rieu - Auld Lang Syne

 Auld Lang Syneは、スコットランドの新年、ホグマネーで集まった人々全員で歌われ、また、イギリスの夏の終わりと秋の始まりを告げる音楽祭BBCプロムスの最終夜の最後に演者と観客全員で手を繋ぎながら歌われる。

 Scots Wha Haeは長くスコットランド国歌に準ずる歌として扱われてきた。スコットランド国民党の党歌としても知られる。1999年7月1日、スコットランド議会が開会した際にはA Man's A Man for A' Thatが歌われた。


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