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池上本門寺再訪
    

 (東京都大田区)


19.塔頭@ 
塔頭とは、本行寺

青山貞一・池田こみち・ 斉藤真実
April 〜May, 2018  独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁

本門寺と洗足池
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本門寺の塔頭
 塔頭@ 塔頭とは、本行寺
 塔頭A 実相院、真性院、西之院、厳定院、南之院、理境院
 塔頭B 覚源院、本成院、本妙院、常仙院、中道院
 塔頭C 東之院、安立院、法養寺、永寿院、心浄院
 塔頭D 妙雲寺、養源寺、照栄院、長勝寺、山光寺、善慶寺

 ここでは、池上本門寺の塔頭について紹介しましょう。池上本門寺では、参道や門前に今でも塔頭があるだけでなく、池上以外の地にも塔頭があります。また移転・合併・廃寺となった本門寺の塔頭もあります。

本門寺の塔頭

  まず塔頭(たっちゅう)とは何か?

 塔頭は寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔(多くは祖師や高僧の墓塔)や庵などの小院を指します。

 門徒らによって立ち並ぶ塔の中でも首座に置かれたこと、あるいは、門徒らが塔のほとり(=「頭」)で守ったことから塔頭と呼ばれたなどの説があります。

 塔頭は塔中(たっちゅう)、塔院(とういん)、寺中(じちゅう)、院家(いんげ)とも言います。

 やがて塔頭に類する塔台を建立するようになった他宗派も現れたり、後に改宗や廃絶したものの塔が残ったりなど現存例は混然としています。


 池上本門寺の場合、最盛期、塔頭は36寺院もありました。移転・合併・廃寺などで、現在は23寺院が「朗師講」と呼ばれ残っています。

 青山貞一、池田こみちは、2018年の4月と5月、それら23すべての塔頭を訪問しお参りし、寺やお庭の写真を撮影し、寺の縁起(概要、歴史など)を調べました。以下は23の塔頭の概要です。池上本門寺に行かれる方は、ぜひ、ひとつ、ふたつでも塔頭を訪れてみてください。


池上本門寺の塔頭

 以下に池上本門寺に合計36あった塔頭のうち、現存する塔頭を中心に紹介します。

 
池上本門寺の塔頭、周辺寺院は、最盛期、塔頭は36寺院ありました。移転・合併・廃寺などで、現在は23寺院が「朗師講」と呼ばれ残っています。以下がそれらの塔頭です。

 黄色:2018年4月22日、5月14日現地調査
 青色:2018年5月16日現地調査
 白色:2018年5月18日現地調査

・長崇山本行寺 旧本山:池上本門寺 法縁:池上大坊顕の字法縁 
・妙玄山実相寺 旧本山:池上本門寺 法縁:池上芳師法縁      
・微妙山真性寺 旧本山:池上本門寺 法縁:池上大坊顕の字法縁  
・長栄山西之院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上大坊顕の字法縁
 
・慧光山厳定院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上大坊顕の字法縁 
・長栄山南之院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上芳師法縁      
・妙祐山理境院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上芳師法縁
       
・広布山覚源院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上柳島法縁     
・喜昇山本成院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上柳島法縁      
・朗栄山本妙院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上中延法縁
      
・東照山常仙院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上中延法縁      
・長栄山中道院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上中道法縁       
・蓮華山東之院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上芳師法縁      
・慈性山安立院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上芳師法縁
・妙教山法養寺 旧本山:池上本門寺 法縁:小西法縁
・大経山心浄院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上芳師法縁
・玄性山妙雲寺 旧本山:小湊誕生寺 法縁:通師雑司谷法縁
・長荘山養源寺 旧本山:池上本門寺 法縁:池上神楽坂法縁
・不変山永寿院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上神楽坂法縁
・朗慶山照栄院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上柳島法縁
・覚応山長勝寺 旧本山:小湊誕生寺 法縁:潮師法縁
・法寿山本光寺 旧本山:池上本門寺 法縁:池上芳師法縁
・法光山善慶寺 旧本山:品川本光寺 法縁:什師法縁

 以下は、池上本門寺の塔頭のうち移転、合併、廃寺となったものです。

移転・合併・廃寺

・辻之坊 1684年頃から1688年までに開創。玄理坊と改称後江戸時代末期までに東之院と合併した。
・本成坊 喜多院と合併後本成院と改称し現在まで存続。
・北之坊 喜多院と改称後本成坊と合併した後、本成院と改称した。
・成就坊 1536年厳定院と合併した。
・不二庵 1754年中道院と合併した。
・覚蔵坊 自證坊と改称後安立院と合併したらしい。
・宝樹坊 西之院と1624年以降1644年までに合併した。
・妙玄庵 1727年(享保12年)大坊坂付近に日等の隠棲所として開創。別名妙玄坊、要玄坊。
      1923年浅草新寺町から池上に移転した実相寺と合併した。
・蓮光坊 妙教庵と改称後、下谷稲荷町から池上に移転した法養寺と合併した。
。坂本坊 1903年山口県宇部市に移転した。現在は朗栄山本興寺と称する。
・法雲院 延寿坊と合併後廃絶。
・延寿坊 法雲院と合併後廃絶。
・樹下庵 1748年開創。現在は廃絶。
・戒善坊 開創年未詳。現在は廃絶。
・詮量坊 開創年未詳。現在は廃絶。
・住行坊 開創年未詳。現在は廃絶。
・長延坊 開創年未詳。現在は廃絶。
・明静坊 開創年未詳。現在は廃絶。
・法性坊 開創年未詳。現在は廃絶。
・精善坊 開創年未詳。現在は廃絶。
・妙寿坊 開創年未詳。1878年岐阜市に移転するも近年廃寺となる。
・立善講寺 照栄院内にあった南谷談林が明治になり分離し朗慶山立善講寺となり、
      1888年埼玉県志木市に移転。

 塔頭リストの出典はWikipediaです。

 なお、寺の概要、縁起などは、現地調査時に撮影した写真、解説、「猫の足あと」を出典としています。



 以下は池上本門寺を中心としたグーグルマップです。上下左右にに動き、拡大、縮小も可能です。大部分の塔頭が含まれていますので、探してみてください。





 
以下順を追って本門寺の塔頭を紹介します。


・長崇山本行寺 
旧本山:池上本門寺 法縁:池上大坊顕の字法縁
 坊本行寺、〒146-0082 東京都大田区池上2丁目10-5


出典:グーグルマップ


出典:大坊本行寺 

 
まず最初に、本門寺境内の西端、多宝塔から階段を下りていったところにある大坊本行寺とその周辺にある塔頭群です。以下の地図は塔頭の位置を示しています。ここは、本門寺に自らの広大な土地を寄進した池上氏の本拠地でもあります。


境内マップ  出典:池上本門寺公式Web

 
以下は本門寺の多宝塔から大坊本行寺に通ずる階段で撮影しています。階段の上に多宝塔、さらに上の方に本殿などがあります。一方、下には大坊本行寺はじめ多数の塔頭があります。


 撮影:池田こみち アイフォーン 2018-5-14

 
以下は本行寺の本堂です。


大坊本行寺 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-4-22


大坊行寺本堂  出典:大坊行寺 公式Web

◆本堂  

 出典:4枚の写真を含め大坊行寺本堂 公式Web

 鎌倉幕府の作事奉行であった池上右衛門大夫宗仲が、日蓮聖人ご入滅の後、日澄(大聖人の本弟子・日朗の弟子)に公邸を寄進しお寺を建立、「長崇山 本行寺」と称しました。

 昭和56年(1981年)に大聖人七百遠忌記念事業として大改築された本堂は、境内の正面に厳かにそびえ立ち、本行寺の“顔“として1年を通じて様々な行事の舞台となります。

 本尊は一塔両尊四士。「南無妙法蓮華経」と書かれた宝塔を中心に、向かって左に釈迦如来、右に多宝如来が1つの蓮台に乗り、右に上行(じょうぎょう)菩薩、無辺行(むへんぎょう )菩薩、左に浄行(じょうぎょう)菩薩、安立行(あんりゅうぎょう)菩薩の四菩薩が並び、四隅に四天王(持国天王、増長天王、廣目天王、多聞天王)が配置されています。

 また、格式高い池上三院家の筆頭とされた本行寺の住職は、籠に乗って江戸城に入城することが許されていました。本堂内には、当時使用された籠が今もそのままの姿で掲げられています。

  
山号は「長崇山」                   1年を通じて様々な行事の舞台に

  
本尊は一塔両尊四士                 内陣

大坊本行寺本堂の伽藍

 以下は本行寺の境内です。ここには本堂以外にも多数の伽藍、庭園、宝物殿などがあります。本行寺の境内には駐車場も整備されていますので、近くまでお出での方はぜひお立ち寄りください。

 また池上本門寺からは多宝塔に行く階段をまっすぐ降りると本行寺に到着します。全体がゆったりとしたお寺で気持ちも和らぎます。



大坊本行寺全景 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-4-22

 
下は、大坊本行寺の全景を撮影する池田こみちです。

大坊本行寺全景 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-5-14

・大坊本行寺の縁起
 大坊本行寺は、弘安5年(1282)日蓮聖人入滅後まもなく宗仲公が館を寄進して本行寺が開創されました。

・池上の寺めぐりによる大坊本行寺の縁起
 弘安5年(1282)日蓮聖人が入滅された池上宗仲公の館跡。日蓮聖人入滅後まもなく宗仲公が館を寄進して本行寺が開創された。日蓮聖人が最後の講義をされたときの「お寄り掛かりの柱」や亡くなるとき一斉に花が咲いたと伝えられる「お会式桜」が境内にある。なお、
「大坊」という呼び名は池上本門寺の支院並びに末寺を代表するお寺という意味の尊称である。(池上の寺めぐりより)

新編武蔵風土記稿による大坊本行寺の縁起
日蓮入滅所大坊

 長栄山本行寺と号す。是宗仲の館跡にして、実に日蓮入滅の地なり。上人入滅の後宗仲其宅を捨て日澄に付す。日澄は日朗の弟子にして、宗道に志あつく、九老の仲尤尊宿にして法燈を輔くべき器なれば、宗仲深く崇信せし故此擧あり。日朗もまた軽んぜず、遂にこの坊の開山とせり。もと三院家の次第は、開基の人によれば照栄院・久成坊(註:現理境院)と定むべきを、当坊は宗祖入寂の地といひ、ことに大旦那宗仲の宅跡といひ又開基日澄尊宿にして実に本他の棟を扶翼し、本門寺を補佐すべきの才あるにより、日朗在鎌倉の時は此人獨本門寺を守護せしによりて、第一とせりと云。
表門、南に向ふ。

日蓮入滅場。則客殿なり。六間に七間、南に向ふ向拝あり。本尊三寶を安ず。客殿の内一隔をなし、 臨滅度の三字を扁す。古の家作近き頃までも存せしと云。今続に日蓮入滅の期に臨んで、倚そひしといふ柱一基あり。本尊日蓮の木像は長三寸許。日蓮在世の時その姿を鏡にうつせしを三法傍にありて彫刻せし像にして、宗仲夫婦の看経佛なりしとぞ。又かの夫婦の木像あり。長六寸許法軆の姿なり。本尊の側に安ず。宗仲法名は日宗、妻女は妙宗と号せしといへり。
硯ノ井。客殿の東にあり。日蓮此水をもて本尊を図し、又譲状等をかきしと云傳ふ。
祖水祖師堂。井の東にあり、九尺に二間、硯の井の側にあるゆへに此号あるなるべし。祖師の立像は長一丈六尺ばかり。
灰堂。客殿の東南にして山下にあり。二間に三間、日蓮を荼毘せし所なり。当時宗仲宝塔を作り、余灰をその中に盛りて安ぜりといふ。
裏門。西に向へり。(新編武蔵風土記稿本門寺項より)

・大坊本行寺所蔵の文化財
・日蓮聖人坐像(大田区指定有形文化財)
・三十番神画像(大田区指定有形文化財)
・本行寺文書(大田区指定有形文化財)
・池上宗仲夫妻坐像(大田区指定有形文化財)
・正応三年の題目板碑と板碑群(大田区指定有形文化財)
・法華経版木(東京都指定有形文化財)
・日蓮上人入滅の旧跡(東京都指定旧跡)
・日蓮聖人坐像(昭和50年3月19日指定)
 像高56.7センチ、木像寄木造り、彩色、玉眼。胎内腹部に「武州立花之郡稲毛之庄渋口郷施主尾曽川忠盛(花押)仏師鎌倉伊与守」と墨書銘があるが、記年はない。渋口郷は現在の川崎市高津区子母口で、この地の旧家小(尾)曽川氏は同所の
日蓮宗円融寺の檀越で、同寺の墓域には同氏の先祖の五輪塔などがいまも残されている。
 円融寺の開山は池上本門寺9世日純(1482-1550)で、大坊本行寺から栄進した僧である。
 おそらく小曽川氏との信仰関係が深かったに違いない。本像は、円融寺が開創されたと伝えられる天文3年(1534)=この年の12月大坊も焼失からそう時代を経ない中世の作品と考えられ、鎌倉仏師の作風を示す日蓮像としても注目されよう。(大田区教育委員会)

 ※ 円融寺 (東京都目黒区)

円融寺の釈迦堂  出典:Wikimedia Commons


円融寺の仁王門  出典:Wikimedia Commons

 かつては、妙光山法服寺と称し、天台宗の寺院であった。寺伝では853年(仁寿3年)円仁(慈覚大師)が法服寺を建立したという。
1283年(弘安6年)日蓮の弟子・日源により、日蓮宗に改宗し、妙光山法華寺と改称した。中世から近世にかけては吉良氏や徳川氏の外護を受け、坊舎18、末寺75箇寺を数えた。1630年(寛永7年)身池対論には法華寺から日進が臨んでいる。法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なくされ、1698年(元禄11年)再び天台宗の寺院となった。1834年(天保5年)経王山円融寺と改称する。不受不施派とは、法華経信者以外からは施しを受けず、与えずという一派で、日蓮宗本山の久遠寺と対立し、江戸幕府からも弾圧された。日源の法脈は、当寺の改宗をもって完全に途絶えていった。当寺の尊像など、祖師像は妙法寺、三宝尊像は立源寺、釈迦如来涅槃之図は常円寺、法華門は妙法寺、摩耶夫人像は摩耶寺など、所縁寺院に引取られていった。

 以下は本行寺の主な文化財の概説です。


日蓮聖人坐像(大田区指定有形文化財)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-4-22


三十番神画像(大田区指定有形文化財)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-4-22


本行寺文書(大田区指定有形文化財)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-4-22

本行寺文書(昭和50年3月19日指定)
1.大曼荼羅25点
2.古文書16点
3.記録書跡類8点

 当寺に伝存する古文書は、池上本門寺の補足資料として重要な意味を持ち、日蓮宗池上本門寺教団史解明の手がかりとして、貴重な存在である。

 特に、中世の当寺および池上本門寺歴代の本尊(大曼荼羅)や、寺門経営に関する書状などが重要。近世では、幕府側の天海・崇伝が、身延山久遠寺の後住職問題に干与した事実を示す書状など、その他いずれも史料性の高い貴重なものが多い。(大田区教育委員会)

・池上宗仲夫妻坐像(昭和50年3月19日指定)
 木像寄木造り、彫眼、像高217センチ。本像の寄進者は丹波屋半兵衛、開眼の導師は身延山久遠寺33世日享で、至徳4年(1714)に造られたことあ、台座の銘文によってわかる。
よく祖型を残し、後補された様子もなく、小型ながら肖像彫刻として極めて精巧なものである。
胎内には曼荼羅本尊などを記した小紙片が収められているが、筆者を詳らかにしない。
宗仲夫妻は日蓮の大檀越(篤信者)で、日蓮が夫妻の邸で入滅したのは有名である。(大田区教育委員会)

・正応三年の題目板碑と板碑群(昭和49年2月2日指定)
 当寺には池上本門寺境内に散在していた板碑が四十余基ある。
この附近一帯(池上本門寺周辺)は、題目板碑の密集地として、わが国でも屈指の地といえよう。
年代のわかっている板碑の中で、特に正応3年(1290)のものは、題目板碑として最古のものである。
この板碑は上半部が欠失しているが、その大きさや銘文から、全長150センチはあったと推測される。池上本門寺の開創大檀越、池上氏一族と何等かの関連があったものと思われる。(大田区教育委員会)


正応三年の題目板碑と板碑群(昭和49年2月2日指定)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-4-22

・日蓮上人入滅の旧跡(昭和11年3月4日東京都旧跡指定)
 日蓮(1222-1282)は鎌倉中期の僧で日蓮宗の開祖。安房国に生まれ、若くして天台宗を学ぶ。長じて鎌倉・比叡山・南都・高野山などで修業し、仏法の真髄が「法華経」にあるとし、きびしく他宗を排撃したため、諸宗・為政者から圧迫を受けた。 晩年は甲斐身延山に隠棲し弟子や信者の指導にあたっていたが、弘安5年(1282)9月8日病の悪化とともに身延山を出発、18日に武蔵国千束郷池上右衛門太夫宗仲の邸(現・本行寺境内)に到着し、10月13日の朝、この場所で入滅した。 病中の日蓮が身延山を立ってここに移ったのは、その昔、法華経を説いた釈尊が霊鷲山から艮(東北方)にあたる工匠純陀の家で入滅した故事にならったものである。(東京都教育委員会)

出典:猫の足あと


◆宝物殿

 本行寺が「由緒寺院」に顕彰された記念に建設されたもので、内には都重要文化財の法華経板木、宗門最古の板碑、先師の本尊、書状類等が奉安されています。


大坊本行寺宝物殿
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-5-14


 宝物殿(▲の形)を背景に。この季節、つつじが満開です。


大坊本行寺宝物殿を背景に
 撮影:池田こみち アイフォーン 2018-5-14


 撮影:青山貞一 アイフォーン 2018-5-14



 撮影:池田こみち アイフォーン 2018-5-14


つづく