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溢れる自然 老杉茂り 霊気満山に漲る

大雄山・最乗寺 2
(神奈川県南足柄市)


池田こみち Komichi Ikeda  山形美智子 Michiko Yamagata
1990~ 2023
独立系メディア
E-wave Tokyo

撮影:池田こみち iphone 2023年5月

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大雄山最乗寺の歴史と自然のなかでの修行



写真出典:大雄山最乗寺公式Web


 大雄山最乗寺は、曹洞宗に属し全国に4000余りの門流をもつ寺である。

 御本尊は 釈迦牟尼仏、脇侍仏として文殊、普賢の両菩薩を奉安し、日夜国土安穏万民富楽を祈ると共に、真人打出の修行専門道場である。

 開創以来600年の歴史をもつ関東の霊場として知られ、境内山林130町歩、老杉茂り霊気は満山に漲り、堂塔は30余棟に及ぶ。

 開山了庵慧明禅師は、相模国大住郡糟谷の庄(現在伊勢原市)に生まれ、藤原姓である。

 長じて地頭の職に在ったが、戦国乱世の虚しさを感じ、鎌倉 不聞禅師に就いて出家、能登總持寺の峨山禅師に参じ更に丹波(兵庫県三田市)永沢寺通幻禅師の大法を相続した。

 その後永沢寺、 近江總寧寺、越前龍泉寺、能登妙高庵寺、通幻禅師の後席すべてをうけて住持し、大本山總持寺に輪住する。

 50才半ばにして相模国に帰り、曽我の里に 竺圡庵を結んだ。そのある日、1羽の大鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に飛び大松(袈裟掛けの松)の枝に掛ける奇瑞を現じた。その啓示によってこの山中に大寺を建立、大雄山最乗寺と号した。應永元年(1394年)3月10日のことである。

 大雄山最乗寺の守護道了大薩埵は、修験道の満位の行者相模房道了尊者として世に知られる。

 尊者はさきに 聖護院門跡覚増法親王につかえ幾多の霊験を現され、大和の金峰山、奈良大峰山、熊野三山に修行。三井寺園城寺勧学の座にあった時、大雄山開創に当り空を飛んで、了庵禅師のもとに参じ、土木の業に従事、約1年にしてこの大事業を完遂した。その力量は1人にして5百人に及び霊験は極めて多い。

 應永18年3月27日、了庵禅師75才にしてご遷化。道了大薩埵は「以後山中にあって大雄山を護り多くの人々を利済する」と五大誓願文を唱えて姿を変え、火焔を背負い右手に拄杖左手に綱を持ち白狐の背に立って、天地鳴動して山中に身をかくされた。以後諸願成就の道了大薩埵と称され絶大な尊崇をあつめ、十一面観世音菩薩の御化身であるとの御信仰をいよいよ深くしている。


溢れる自然 老杉茂り 霊気満山に漲る

 御本尊は 釈迦牟尼仏、脇侍仏として文殊、普賢の両菩薩を奉安し、日夜国土安穏万民富楽を祈ると共に、真人打出の修行専門道場である。

 鬱蒼とした老杉に囲れた350段余りの階段を登ると、御本地十一面観世音菩薩(当山守護道了大薩埵の御本地)が奉安されている奥の院につく。大雄山のもっとも高い所に位置するが沢山の参詣者がこの階段を登られてお参りに来る。

 本尊清瀧不動尊、両脇に天祐不動明王・愛染明王を祀る。関東三十六不動の第二番の札所。圓通橋から不動堂を望むと明神ヶ岳山麓から湧水を引いた「洗心之滝」を仰ぐことが出来る。

 昭和36年再建。開祖了庵慧明禅師尊像等、歴代住持霊牌を祀る。本堂と共に昭和の総檜造りの名建築である。

 結界門をくぐり右手の77段の石段を登ると、御真殿(妙覚宝殿)につく。当山守護妙覚道了大薩埵をご本尊に大天狗・小天狗が両脇侍として祀られている。朝晩の祈祷から日中の特別祈祷が、修行される道場。

 文久3年(1863年)建立。多宝如来を奉安、方形層上円形木造二重の塔。南足柄市の重要文化財に指定されている。

 昭和29年再建。間口15間、奥行き12間。昭和を代表する仏教建築家、伊藤忠太氏の設計である。御本尊は釈迦牟尼仏、脇侍に文殊・普賢両菩薩を祀り、日夜国土安穏が祈念され、朝晩の勤行や当山山主が修行僧に対しての説法の場である。

 聖僧文殊菩薩を祀るところから僧堂と云われ、修行僧が日夜、坐禅弁道に励む根本道場である。


 三面大黒天(箱根明神・矢倉明神・飯沢明神の三明神が一体に刻まれている)を奉安している。
三面殿の前には珍らしい子供を抱えている「子育ての狛犬」が安置されている。

 当山開創の時、道了様が自ら井戸を掘り、土中から鉄印を得たが、これが当山重宝の御金印(おかのいん)である。その跡から霊泉(金剛水)が湧出、以来600年、この霊泉を飲むものの諸病を癒していると、伝えられている。

 御真殿に登る坂道の入口に、御開山了庵慧明禅師の妹で教えを慕い出家した慧春尼様のお堂がある。慧春尼様はお悟りを開かれ人々に法を説いたが、応永9年人々のしあわせを願い我が身を法灯と化して入定された。現在、そのお堂の中央に慧春尼様の石像が安置され周りには願いを込めてあげられた紅白のたすきが沢山ある。

 鬱蒼とした老杉に囲れた350段余りの階段を登ると、御本地十一面観世音菩薩(当山守護道了大薩埵の御本地)が奉安されている奥の院につく。大雄山のもっとも高い所に位置するが沢山の参詣者がこの階段を登られてお参りに来る。

 御真殿脇に奉納された大小の高下駄。天狗さんの履き物は、高下駄だが、下駄は左右一対そろって役割をなすところから、夫婦和合の信仰がうまれ、奉納者が後を絶たない。

 結界門より道了大薩埵の浄域とされる。その手前に御供橋・圓通橋があり、中央に御供橋、両脇に圓通橋が並行している。御供橋は白装束を身にまとった修行僧が道了様へのお供えをする時に使用する為の橋で、普段は通行する事ができないようになっている。この橋は、「かながわ橋 100選」の一つに数えられている。

 仁王門より3キロメートル。車道とハイキング道「天狗の小径」があり、神奈川県の天然記念物に指定されている杉並木が参拝者を迎える。杉並木は樹齢450年以上のものから600年を数えるものが主流で、更に車道両側には10、000株のあじさいが植えられ「大雄山あじさい参道」と呼ばれて花の見頃は、6月中旬から7月中旬である。

 参道の3丁目に位置する、朱色の門「東海法窟」の額と「最乗寺専門僧堂」の聯(れん)を掲げてあり、阿吽の金剛力士像が安置されている。

 平成22年にお寺を建てた、了庵慧明禅師が亡くなってから600年を記念するために建てられて、平成15年10月27日に完成した門です。
門の形は2階建てで一階に屋根がある門で名前は二重門といいます。高さは22mの高い門で二階には、22体の仏像が祀られています。


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