エントランスへはここをクリック         

昇仙峡、自然と文化・歴史短訪

昇仙峡4
Yamanashi pref.

青山貞一・池田こみち
 独立系メディア E-wave Tokyo 2022年12月21日
 

昇仙峡の奇岩を背景にした池田こみち 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-12-21

全体メニュー
大山祇神社 金櫻神社 夫婦木神社 羅漢寺 昇仙峡北部の滝
昇仙峡1 昇仙峡2 昇仙峡3  昇仙峡4 
昇仙峡5
 昇仙峡6 昇仙峡7 昇仙峡8

歴史  出典:昇仙峡 Wikipedia日本

近現代の昇仙峡

 1887年(明治20年)には「御嶽昇仙峡」が命名され、大正時代には甲府市内から昇仙峡までの道路が次々と整備されて定期バスが乗り入れるなど観光地として一新され[10]た。

 1902年(明治35年)には、正岡子規の門人で山梨県を拠点に活動を行った新免一五坊や「白雛会」を主催した堀内柳南、神奈桃村ら山梨県の俳人が甲府市で「山梨文学大会」が開催される。同年8月25日には昇仙峡の御嶽新道へ赴いており、翌26日には甲府太田町望仙閣で批評会を行った。

 1923年(大正12年)には、断崖絶壁・滝・奇岩・侵食・紅葉・アカマツ・岩山・荒々しい川の流れと植物が一体となった景観が評価され、史蹟名勝天然紀念物保存法により名勝指定を受けた[11]。

 1937年(昭和12年)10月21日、東京府女子師範学校の生徒が修学旅行で昇仙峡を訪問。羅漢寺橋(吊橋)で記念撮影をすべく50人が橋に乗ったところ、重さに耐えられずに橋が落下。死者は出なかったものの重軽傷者30余人[12]。

 第二次世界大戦後には、1950年(昭和25年)に渓谷百選の一位に選ばれ、1953年(昭和28年)には文化財保護法により特別名勝となる[11]。

 近代には山梨県の主要産業として観光業が振興される。1972年(昭和47年)には御岳昇仙峡有料道路(現在無料)が開通し、甲府市や山梨県の主要な観光地として整備された。1977年(昭和52年)にバス転落事故が発生し、死者11名負傷者34名が被害に遭った[13][14]。

 2009年には読売新聞社主催の読者が選ぶ「平成百景」において、富士山に次ぐ第2位に選ばれた[15]。

昇仙峡を描いた絵画

 江戸時代の甲斐国は甲州街道をはじめとする諸街道が整備され、伴い多くの文人画家が来訪し作品を残している。御嶽昇仙峡は甲府城下から近在であり、天保5年(1834年)に御岳新道が開発された後は来訪が容易となり、多くの画家が訪れた。天保13年(1842年)には甲府城下に居住したの南画家の竹邨三陽(たけむら さんよう)が『仙嶽闢路図』を描き、覚円峰などの景勝地を紹介し、出版された。これが契機となり昇仙峡は景勝地として知られるようになった。

脚注

1^ 富士川の支流

2^ “櫻橋(さくらばし)”. 広島県土木建築局道路企画課 (2015年3月11日). 2020年5月13日閲覧。

3^ 平成24年度の選奨土木遺産土木学会

4^ 平山(2002)、p.110

5^ 平山(2002)、p.111

6^ 平山(2015)、p.247.

7^ a b c d e 『山梨県の地名』、p.399

8^ a b 『山梨県の地名』、p.398

9^ 『水の国やまなし-信玄堤と甲斐の人々-』(山梨県立博物館、2013年)、p.121

10^ 泉桂子「甲府市水源林の形成過程」『東京大学農学部演習林報告』第103号、東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林、2000年6月、21-106頁、ISSN 03716007、NAID 120007015893。

11^ a b 田中聡, 佐々木邦博, 上原三知「利用動態からみた名勝指定峡谷の現代的意義に関する考察」『信州大学農学部紀要』第46巻第1-2号、信州大学農学部、2010年3月、21-30頁、ISSN 05830621、NAID 120007105987。
^
12 吊橋が落ち、修学旅行の女生徒ら重軽傷『東京朝日新聞』1938年(昭和12年)10月23日夕刊.『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p732 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

13^ 昇仙峡バス転落事故に関する質問主意書衆議院、昭和五十二年十月十八日

14^ 衆議院議員鈴木強君提出昇仙峡バス転落事故に関する質問に対する答弁書衆議院、昭和五十二年十月二十五日

15^ 日本の新百景考‐昼と夜山家哲雄、日本大学生産工学部第42回学術講演会(2009-12-5)

16^ a b 平林(2009)、p.9

17^ a b 平林(2009)、p.13

18^ 土岐美由紀・中村麗子『もっと知りたい片岡球子 生涯と作品』(東京美術、2015年)p.27

19^ 山梨交通

20^ 甲斐保勝協会編『甲斐勝景写真帳』昭和初期の「長瀞橋」昭和7年(1932年)発行、国立国会図書館蔵書、平成29年10月21日閲覧。

21^ 甲斐保勝協会編『甲斐勝景写真帳』昭和初期の「昇仙橋」昭和7年(1932年)発行、国立国会図書館蔵書、平成29年10月21日閲覧。


昇仙峡5へ