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目眩く歴史の要所で「茶の湯」など稀有な文化が偲ばれる


龍寶山 大徳寺(京都市北区)
文化財②

池田こみち(宗蹊) Komichi Ikeda監修  青山貞一 Teiichi Aoyama編集
立系メディア
E-wave Tokyo 2023年9月1日公開
 

大徳寺の大仙院  出典:グーグルマップストリートビュー360度カメラ

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・文化財②

・勅使門

仏殿(附:明月橋、棟札8枚)

法堂(附:廊下、棟札7枚、旧裏板2枚、旧土居葺板3枚)

山門(附:棟札2枚、旧土居葺板4枚、鬼瓦4箇)

浴室(附:銘札1枚)

経蔵

廊下(方丈玄関 - 寝堂間)

寝堂(附:棟札2枚)

庫裏(附:廊下、棟札1枚)

侍真寮

鐘楼(附:棟札2枚)

(絵画)

絹本著色運庵和尚像 - 嘉定十一年の自賛あり。

絹本著色虚堂和尚像 - 咸淳改元の自賛あり。

絹本著色大応国師像 - 正応改元の自賛あり。

絹本著色大燈国師像

絹本著色長生比丘尼像 - 文安六年七月十日養叟賛。

紙本淡彩楊岐和尚像 - 文清筆、養叟の賛あり。

紙本淡彩養叟和尚像 - 文清筆、享徳元年養叟自賛。

絹本著色五百羅漢像 - 林庭珪・周季常等筆 82幅

-南宋仏画を代表する名品の一つ。元は100幅のセットで、10幅がボストン美術館に、2幅がフリーア美術館に分蔵され、計94幅が現存する。48幅に銘文があり、元は寧波鄞県の恵安院の什物で、淳熙5年(1177年)から同15年(1188年)の間に東銭湖周辺の住人が、先祖の追善供養や亡魂の極楽浄土への往生、さらに一族の安寧を祈って制作されたことがわかる。

日本へは、寛元4年(1246年)頃招来され、同年来日した蘭渓道隆がもたらしたとも考えられる。その後の伝来には2説あり、元は鎌倉の寿福寺の什宝だったが、のちに後北条氏に渡って瑞渓寺に安置され、後北条氏滅亡後は豊臣秀吉が古渓宗陳を開山として創建した方広寺大仏殿の寺宝として移され、その後同じく秀吉創建・古渓開山の大徳寺総見院の什物となり、さらに借券をもって大徳寺方丈に移されたという(『龍宝山大徳禅寺志』宝永年間成立)。もう1説は、もともと建長寺の什物だったのが早雲寺のものとなり、これを秀吉が京都へ持って行き大徳寺内寺院の天瑞寺に寄進し、その後大徳寺方丈に寄進されたともいわれる(『早雲寺記録』元禄14年(1701年)成立)。

どちらの説を取るにせよ、元は鎌倉の大寺院にあったが、後北条氏の手に渡り、後北条氏滅亡後は秀吉から大徳寺周辺寺院に施入されたのは確かであろう。秀吉が寄進した時点ですでに94幅しかなかったため、寛永15年(1638年)に絵仏師の木村徳応が6幅を補作している。明治27年(1894年)アーネスト・フェノロサが、ボストン美術館などアメリカ東海岸を巡回した展覧会で大徳寺本44幅を展示し、この時デンマン・ウォルド・ロスが10幅を購入し後にボストン美術館へ売却および寄贈、別ルートで海外流出した2幅は20世紀初頭フリーア美術館の所有となった。この少し前の明治21年(1888年)に、日本画家で京都及び奈良帝室博物館長となる森本後凋が100幅を全て模写しており、この海外流出を憂いた森本は手元にあった模写本から12幅を複写して大徳寺に寄進し、現在も大徳寺には当時のものではないにせよ100幅全て揃っている[7]。この五百羅漢図は室町時代に東福寺の画僧明兆(兆殿司)が模写をし、それを10人ずつ50幅(現存は45幅)の「五百羅漢図」(重要文化財)にアレンジしている。

絹本著色後醍醐天皇像

絹本著色十王像 10幅

絹本著色楊柳観音像 - 1900年重要文化財指定。

絹本著色楊柳観音像 - 1907年重要文化財指定。

絹本著色楊柳観音像 - 1908年重要文化財指定。

紙本著色仏涅槃図(狩野松栄筆)・紙本墨書仏説教誡経(近衞家熙筆)

紙本墨画柏鷹芦鷺図 - 曽我二直庵筆 六曲屏。

絹本墨画竜虎図 2幅 - 牧谿筆。

絹本墨画竜虎図 2幅 - 伝牧谿筆。

紙本墨画芙蓉図 - 伝牧谿筆(附:千利休添文)。

絹本著色釈迦三尊像 3幅 狩野正信筆[8][9]

紙本金地著色四季松図 六曲一双 狩野探幽筆[10]

方丈障壁画 - 狩野探幽筆、83面。もと84面だったが、1966年に火災で壁貼付1面(猿曳図)を焼失した。

紙本墨画山水図 48面(雲門庵前室襖貼付8、室中襖貼付16、上間二之間襖貼付12、下間二之間襖貼付12)

紙本墨画禅会図 6面(雲門庵塔所壁貼付)

紙本墨画竜虎図 2面(雲門庵内陣壁貼付)

紙本墨画竹林禽鳥図 10面(雲門庵内陣壁貼付1 仏壇之間襖貼付8、下間一之間壁貼付1)

紙本墨画梅柳禽鳥図 8面(雲門庵内陣壁貼付2、下間一之間襖貼付2、仏壇間襖貼付4)

紙本墨画隠士図 4面(上間一之間襖貼付)

紙本墨画猿曳図 1面(上間一之間壁貼付)

紙本墨画芦雁図 4面(下間一之間襖貼付)

附:紙本墨画山水図 8面(知客寮襖貼付4、副司寮襖貼付4)

附:紙本墨画鳳凰図衝立 1基(所在塔所)

(彫刻・工芸品)

木造大燈国師坐像(雲門庵安置)

鳳凰沈金経箱

(書跡典籍・古文書)

花園天皇大燈国師御問答書 2幅

紺紙墨書法華経 8巻 - 近衞家熈筆。

大蔵経 2018冊うち版本6冊

法華経 8巻 - 常子内親王筆。

徹翁義亨墨蹟 言外号

虚堂智愚墨蹟 尺牘

花園天皇宸翰置文 建武四年八月廿六日 - 興禅大燈国師宛。

宗峰妙超(大燈国師)墨蹟 遺偈 建武丁丑臘月日
宗峰妙超(大燈国師)墨蹟 投機偈 南浦紹明加印証語

大燈国師自筆法語(解夏小参語)

景徳伝燈録 15冊 - 宗峰妙超(大燈国師)筆。

大燈国師自筆書状(其後何条云々 二月廿四日 )

大燈国師自筆書状(路次無殊事云々 十月三日 )

大燈国師自筆書状(綸旨無相違云々 八月八日 )

大燈国師自筆置文(法衣所伝語 建武四年臘月日 )

大燈国師自筆置文(元亨四年五月六日)

大燈国師自筆置文(元徳三年八月四日)

大徳寺諸庄園文書目録(貞和五年十一月廿七日)

中納言奉書並高家庄絵図

徹翁和尚筆七ヶ条制法(建武四年五月十五日)

大徳寺文書(4267通)97巻、2帖、100冊、54幅、3246通、9鋪、172枚、1箇(附:文書袋及び文書箱17口、2合)[11]
典拠:2000年(平成12年)までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

国指定史跡

大徳寺境内 - 平成28年9月8日指定[12]。

国指定史跡・特別名勝

大徳寺方丈庭園 - 大正13年12月9日、国の史跡及び名勝に指定[13]。昭和27年3月29日に国の特別名勝に指定[13]。

京都市指定天然記念物

イブキ

拝観

 大徳寺本坊は非公開(例年10月第二日曜に方丈にて書画等を公開する曝涼展が行われる)。

 塔頭のうち常時拝観可能なのは龍源院・瑞峰院・大仙院・高桐院の4か院。黄梅院・真珠庵・聚光院・総見院・芳春院・興臨院・孤篷庵などは秋などに期日を限って特別公開される場合がある。

 龍光院は常時非公開。


文化財②終わり

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